2021.02.25

グロースハックと倫理の均衡点

 仕事が終わって一息つき、ふと「あのドラマを見よう」と思い立つ。とりあえず、一話だけ。

 ――そのはずが、気づけば平気で日付をまたいでいる。ひとたび動画配信サービスを起動させると、予告に心を掴まれたり、自動再生機能に背中を押されたりして、やめ時を見失う。

 そして「おや、この俳優は誰だろう」とスマホに手を伸ばせば、数日前に検討したインテリアが広告としてカムバックし、今度はネットショッピングが始まる。俳優を調べようとしていたことなんてすっかり忘れて、いそいそとレコメンドの波をサーフィンする。

 ビジネスは今や、可処分時間の奪い合い。自社サービスに時間を割いてもらうために仕掛けを施すことは、事業者としては当然ともいえる。最近は「ナッジ」という、特定の行動を促すための行動経済学の理論も注目されている。

 しかしユーザーとしては、何かひっかかりを覚える。リターゲティング広告をクリックするのも、レコメンドに乗るのも自分の選択なので、提供側を責めるつもりはない。ただそれにしても、こころの癖を利用されているような薄気味悪さは残る。

 社会に対して、ユーザーに対して、企業が誠実であるとはどういうことだろう。無意識的な欲求やこころの癖にアクセスすることを、どう考えればよいだろう。今回は、倫理とグロースハックの均衡点がどこにあるのかを考えてみたい。

転職会議、女性名でのメルマガ送付を廃止

 最近、リブセンスが運営する口コミ付き転職サービス『転職会議』は、一つの決断をした。メルマガの差出人名を変更したのだ。具体的には、これまで「榎本祥子」というペンネームでメルマガを送っていたのだが、それをやめ、差出人を「転職会議事務局」で統一した。その経緯について、転職会議で本件をリードした加藤めぐみさんに話を聞いた。

 まず、どうして転職会議は「榎本祥子」名義をやめることにしたのか。

 「論点はいろいろとあるのですが、主には、これが女性名であることです。差出人を女性と思しき名前にした背景には、開封率の向上という狙いがありました。あらためて考えると、そこには『後ろめたさ』が生じるのでないか、という合意を事業部内で得られたため、廃止に至りました」

 経緯を聞くと、この施策が始まったのは二〇一四年頃のこと。当時のメルマガ担当者が「差出人を女性名にしたほうが開封率が上がるのでは」と思い立った。

 メルマガ担当者というのは、なんとか開封率をあげようと、件名、時間帯、セグメンテーションなどのABテストを繰り返し、珠玉の一通に腐心している。多くの人は開封すべきメールをひと目で判断するため、件名を磨き上げることはマストだが、件名の横に並ぶ差出人は、件名と同じくらい大切な情報だ。試しに担当者が「榎本祥子」でメルマガを送ると、狙いは的中。最大で約6割も開封率が上がった。その名残がずっと残っていたというわけだ。

 しかし、問題提起された後すぐに対応できたわけではなかった。メルマガの成績は業績にも大きく影響するため、慎重を期す必要があった。

 「榎本名義をやめること自体への反対意見は事業部内でもほとんどありませんでした。しかし、ただでさえコロナ禍で業績が危うくなっている状況下で、打ち手を減らすことへの不安はありました。メルマガの反響はクライアントからの評価にもダイレクトに影響するため、営業チームとコミュニケーションをとりながら、方法を一緒に考えていきました」

 影響度を調べるため、何度もテストを重ねた。すると、かつてはかなり開封率に貢献していた「榎本祥子」も今はそれほどではなく、開封率は確かに低下するものの、許容範囲であることが判明。こうして、差出人名を変更するに至った。

倫理を再定義したことが問題提起のきっかけに

 そもそも、どうしてこのような問題提起がなされたのか。きっかけは、二〇一九年から始まった経営デザインプロジェクト(以下、デザプロ)。従業員自身が目指したい未来について話し合い、リブセンスの価値を再定義するために発足されたものだ。プロジェクトメンバーが互いの美徳を持ち寄り、会議を重ねた結果、次のような「わたしたちが変わるための9つの指針」が誕生した。

  • 特定の利益に偏らない
  • 事業価値の反復的見直し
  • 学びとキャリアアップの推進
  • 挑戦を後押しする機会の提供
  • 自律性のための情報共有
  • 多様な働き方の実現
  • 差別、ハラスメントの根絶と平等の実現
  • 公正で納得のいく評価
  • 事業以外でも社会に貢献する

 デザプロの話し合いのなかで、ユーザーを欺くようなUIへ疑問を投げかける声が上がった。ユーザーを欺くといえば、たとえば最近社会的に問題視されている「初回無料」商法。一回限りのお試し注文だったはずが定期購読になっていたり、退会の導線が異常に分かりづらかったり。消費者庁は被害が相次いでいることを受け、法改正し、刑事罰を科すこともできるよう調整中だという。

 これは悪質かどうかが比較的わかりやすい例だが、実際にはどこまでが妥当性のあるマーケティング施策で、どこからが不誠実に当たるかを明確に線引きするのは難しい。たとえば、ウェブの新聞記事でよくある「続きを読む」。クリックすると、続きは表示されず会員登録画面へと遷移するのはどうだろう。

 議論を経て、転職会議は、いくつかの施策を見直した。メルマガの送信数を減らしたり、誤クリックを招きそうなボタンを削除したり。女性名でのメルマガ廃止もそのうちの一つだ。9指針のうち「特定の利益に偏らない」「差別、ハラスメントの根絶と平等の実現」に寄り添おうとしたものだ。加藤さんは言う。

 「転職活動は孤独です。メルマガが『こんにちは。転職会議の榎本です』で始まることで、親しみやすさを感じる人もいるかもしれません。メンバーは、過去から引き継がれてきた榎本祥子というペンネームに愛着を持っていましたし、あらためて変更を検討するようなきっかけもありませんでした。

 しかし、デザプロメンバーが事業部に議論を持ち帰ってくれたことで、課題意識が芽生えました。ペンネームは些細な事柄ではありますが、元々の施策の意図はあまり褒められたものではありませんし、うがった見方をすれば、女性はケアする存在で、事務的な仕事をする存在だという性役割の再生産を助長しかねない。それは、私たちが大切にしたい価値観ではありませんでした」

 転職会議のなかで変化を起こすことに、困難はあったのだろうか。加藤さんは「合意を得るのに時間はかからなかった」と答える。

 「言われてみれば……という反応が大半でした。おそらく、二〇二一年現在の私たちが、新たに『メルマガのペンネームは女性の名前にしよう』という施策を出すことはないだろうと思います。それだけに、慣習となったことへの鈍感さ、問いの不在の危険性といったことを、あらためて感じました。

 『わたしたちが変わるための9つの指針』は、何らかのアクションを事業部に強制するものではありません。しかし、指針は過去からの慣習に問いを差してくれますし、個人的に抱えていた違和感を〝わたしたち〟の俎上にのせるための契機にもなります。そうして、指針に沿ったアクションに新しく慣れていくことで、〝わたしたち〟の自己認識が徐々に変化し、ベースの倫理基準が上がったようにも感じています」

女性性のマーケティング利用はダメなのか

 メルマガの差出人を実在しない女性名にすることは、何が問題なのだろう。まず考えたいのは「架空」をどう捉えるか。架空は悪いことなのだろうか。

 前提として、転職会議は企業の口コミが集まるサイト。その特性上、ネガティブな口コミを書かれた企業から脅迫まがいのクレームが入ることがあるため、CSチームは普段から個人名を出さず、チームとして対応している。数万人に届くメルマガに関しても、実名を出すことにリスクはある。

 架空といえば、たとえば『マッハバイト』には「マッハ先輩」という架空のキャラクターがいる。榎本祥子とマッハ先輩はどのように違うのだろう。

 一言でいえば、リアリティを装うかどうかだろう。どちらも「実在しない」という点では共通しているが、実在しているように思わせるものであるかどうかが、是非の分かれ道となりそうだ。

 では、実在するメルマガの女性担当者が実名でメルマガを送ったとして、その開封率が男性担当者が実名でメールを送るよりも良かった場合、それをどう考えるか。その傾向に乗っかることは、是なのか非なのか。榎本祥子に関する議論の中では、そういったQもあがり、事業部のメンバーは線引きに頭を悩ませた。

 これは、「女性性」をマーケティングに活用することをどう考えるかという話に近い。たとえば、「お困りですか?」と問いかけるチャットボットに写真が使われているとき、その多くは女性のものだ。実際に担当するオペレーターに女性が多いからなのかもしれないし、女性の写真を使用することで「安心」「やさしい」「癒やし」といった印象を与えたいのかもしれない。

 この是非に線を引くことは難しい。以前「エンジニアに男性、CSに女性が多いのはなぜ?」という記事を書いたが、実際に、転職会議もCSは全員女性だ。ただ、オペレーターに女性が多いのならそうなっている原因を考えるべきだろうし、意図があって女性の写真を使うなら、女性をサポーター的存在に据えることで、ジェンダーステレオタイプを再生産してしまう可能性について検討するべきとは思う。

 とはいえ、世の中から女性性・男性性を消し去ることが目的ではないし、そんなことは不可能だ。個人的にも、看護師やパーソナルトレーナーなど、パーソナルスペースに侵入される職掌が女性であると安心を覚える。この身体的な感覚は、他人から否定されるべきものではないとも感じている。

 善悪に明確な境界線を引くことはできないが、施策に誰かを丸め込もうとする意図があるとき、それは不誠実に当たるのではないか。結局は「誠実かどうか」という個々の主観と、企業という集合体としての倫理観が肝になるのかもしれない。

企業が誠実であるということ

 話を転職会議に戻すと、このような侃々諤々を経て、転職会議はメルマガ差出人に女性名を使わないことにした。「榎本祥子」と名乗ることで特定の誰かを傷つけたわけでも、消費したわけでもない。しかし、運営側にどこか後ろめたい気持ちがあるとき、きっとそこには改善の余地があるのだろう。

 加藤さんに「テストの結果、女性名を廃止することの事業への影響度が大きかったら、使い続けていたと思いますか」と聞いてみた。加藤さんはこう答える。

 「いえ、タイミングの問題はあるかもしれませんが、いずれはやめていたと思います。一度問題だと気づいたことを、そのままにしておくことはできないので」

 社会に対して、ユーザーに対して、企業が誠実であるとはどういうことだろう。それはきっと、サービスを使ってもらった先の未来に思いを巡らせ、必要に応じて立ち止まれることなのではないだろうか。今進んでいる方角は正しいのか、大切な何かを見過ごさなかったか、立ち止って考えること。

 社会をよくするために会社は存在する。事業や一つひとつの施策はその手段だ。「この方法は理にかなっているか」と迷ったら、目指したい未来を見つめてみる。答えはきっとそこにあるはずだ。

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編集後記