2020.12.17

エンジニアに男性、CSに女性が多いのはなぜ?

次の文章を、状況を想像しながら読んでみてほしい。

「路上で交通事故がありました。大型トラックが、父親とその息子をひき、父親は即死しました。息子が意識不明の重体で病院に運ばれると、手術に当たろうとした外科医が『これは私の息子!』と叫んだのです」

さて、どういうことか、すんなり理解できただろうか。父親は亡くなったはずなのに、どうして?

これは、ジェンダーステレオタイプを試すアクティビティ。外科医と聞くと、直感的に男性を思い浮かべる人が多数だろう。しかし「外科医が母親だった」と分かると意味が通る。

厚生労働省の二〇一八年の調査によると、病院勤務の外科の女性割合は七・一%と実際に少ない。そのため「外科医=男性」と考えることは合理的とも言える。しかし、そうではないケースに気付かなかった人は、ステレオタイプから抜け出しづらい思考をしているかもしれない。

(本筋から逸れるが、この例文はもう一つのステレオタイプも浮き彫りにしている。それは、「夫婦=ヘテロセクシュアル」という前提に頼っていること。日本では同性婚は認められていないが、例文に出てくる息子が男性カップルの子だとすれば、例文の外科医が男性の場合でも意味が通る)

このように、一部の職種は特定の性別を連想させる。経営者、教授、研究者、自衛隊員、パイロット、エンジニアなどと聞くと「男性」を思い浮かべる人が多いだろうし、保育士、客室乗務員、美容部員、事務アシスタントなどと聞くと、多くは「女性」をイメージすることだろう。

リブセンスの職種別ジェンダーギャップ

職種における男女の偏在は、リブセンスにもある。二〇二〇年九月時点の職種別の男女比を見ると、エンジニアは約九割が男性、CS(カスタマーサポート)は約八割が女性だった。

CSのメンバーに話を聞いてみた。なぜCSは女性比率が高いのだと思うか。CSは女性に向いている仕事だと思うか。

「特別、女性が向いているわけではないと思います。お客様と電話で話す業務なのでコミュニケーション能力は必要ですが、それは性差というより、個人差なんじゃないかな。女性比率が高いのは、雇用形態がアルバイトだから。応募してくる時点で女性が多いんだと思います(アルバイト社員・女性)」

「個人差はあるかもしれないけど、やっぱり女性とのほうが仕事はしやすいです。気配りができたり、相手に寄り添うようなコミュニケーションがとれたりする人も、女性のほうが多いように感じますね(契約社員・男性)」

CSメンバーではないが、コミュニケーション能力に関して次のような意見もあった。

「女性だからコミュニケーション能力があるわけではないと思うんです。コミュニケーションの得意・不得意は性別によらないはずだけど、きっとコミュ力のある男性は管理職になってマネジメントでそれを発揮しているのだろうし、コミュ力のある女性はCSとしてお客様に発揮しているのだと思います。問題は、同じ『コミュ力がある』でも、社会から期待される役割が違うということ(業務委託・女性)」

次に、エンジニアの女性。リブセンスのエンジニアは九割が男性だが、男性に向いている仕事だと思うか尋ねた。

「男性だからエンジニアに向いているということはないと思います。それより、システムが好きかどうかのほうが重要ですね。ただ、男性比率が高いことには歴史的な背景もあって。

今の四〇代くらいの就職氷河期世代の方々にとって、プログラマーは当時、職の受け皿になっていたんです。長時間労働は当たり前で、『IT土方』という言葉もあるほどハードワークでした。女性は体を壊したり結婚をしたりして辞めていくことが多く、女が働く職場ではないというイメージがついてしまった。

もっとも今は、エンジニアの労働環境は明らかに改善されているので、女性でも問題なく働けるのですが。社内の女性比率は一割とのことですが、エンジニアは人間よりシステムが好きな人が多いからか、セクハラに遭ったこともないですし、目立った不満はないです(正社員・女性)」

CSは女性に向いている、エンジニアは男性に向いている――今回のヒアリングの中ではこの論を否定する声のほうが多かったが、だからといって「CSは女性に向いている」と回答した人が間違っているとは言えない。彼は実際の業務のなかで、その傾向を本当に感じ取ったのだろう。

職種に性別の偏りが見られるのは、果たして自然の産物なのだろうか。もっというと、能力は性別によって規定されるのか。

女子は数字に弱い? 刷り込みはいつ始まるか

まず、男女比率に偏りが見られる理由の一つとして考えられるのは、高校での文理選択。多くの場合、高校一年次の後半に文理選択をし、二年生からは文系コースと理系コースに分かれる。

大学に入ると、男女比率の差はより顕著になる。二〇一九年度の学校基本調査によると、学部全体における女子学生の割合は四五・四%だが、工学部は一五・四%、理学部の女子割合は二七・九%と、年々微増はしているものの依然低いままだ。エンジニアへの就職が多いであろう情報学科も、工学部に紐付く。

将来の方向性を左右する文理選択だが、高校一年の時点で、自分の適性や将来への影響を冷静に見定めて決断している人はどれほどいるのだろう。女性である筆者も、おぼろげな記憶ながら、「英語得意だし、まあ文系でしょ」と、正直これくらいの温度感だったように思う。

さらに、世にはびこる「女子は文系、男子は理系」という刷り込みも無視できない。ベネッセ教育総合研究所の調査によると、小学生時点では算数への興味・関心はさほど男女差がないのに対し、中学・高校に進むにつれ徐々に差が大きく(男子生徒のほうが興味・関心を持つ割合が大きく)なっていく。

「算数(数学)は男子のほうが向いていると考えるか」を尋ねた設問では、「(とても+まあ)そう思う」と回答した小学生男子が三六・三%、女子は二〇・五%だった。この時点では、男子自身がそう思っている割合が高い。しかし、高校生になるとそれは一変する。数学は男子のほうが向いていると回答した高校生男子は二一・六%だが、女子は三二・七%が「(とても+まあ)そう思う」と回答しているのだ。

ステレオタイプ脅威の存在

つい先日も、ツイッター上で「女性は数学が苦手。数学オリンピックも男子生徒ばかり」という旨のツイートが物議を醸していた(現在該当のツイートは削除されている)。

女性が数字に弱いとする論を展開する際に「数学者が男性ばかりだから」「数学の平均点は男性のほうが高いから」という現状を根拠として持ち出すのは、いささか乱暴すぎるのではないか。たとえば、経営者・管理職・政治家に男性が多い現状に対し、社会的に期待されてきたジェンダーロールや環境の差を無視して、さらには個人差も無視して、「男性はマネジメントが得意」と結論付けるのが過度に一般化しすぎなのと同じだ。

加えて「ステレオタイプ脅威」という現象も起こりうる。書籍『ステレオタイプの科学』によると、ステレオタイプ脅威とは、自分の属性が何かを苦手とするステレオタイプとして認識されている場合に、自らの成果次第でそのステレオタイプを追認してしまうことを恐れるあまり、実際にパフォーマンスが低下してしまうという現象。類似のもので、「予言の自己成就」という心理学の概念もある。

これは、なにも性別に限ったことではない。同書によれば、米国・プリンストン大学で人種によるステレオタイプの影響をみるために、とある調査が行われた。

ゴルフで「運動神経を測る」と言われた白人学生グループは「運動能力が鈍い」というステレオタイプを追認することを恐れ、そう言われなかった白人グループよりずっとスコアが悪く、最終的に平均三打差がついた。同じ実験を黒人学生グループにも行ったが、黒人は「運動神経が鈍い」というステレオタイプを持たないため、「運動神経を測る」と言われようが、言われなかろうが、ゴルフの成績に違いは見られなかった。

今度は、「スポーツ・インテリジェンスを測定する」と黒人学生と白人学生を新たに集め、同様にゴルフを実施した。すると、「黒人はさほどインテリジェント(知的)ではない」という昔ながらの極めてネガティブなステレオタイプ脅威にさらされた黒人のスコアは、平均四打差以上多かったという。

ここに書かれていたのは、教育や生育環境という比較的分かりやすい影響だけでなく、ステレオタイプによる無意識下での影響もパフォーマンスを左右する可能性があるということだった。(この研究には再現性が無いという指摘もある)

『ステレオタイプの科学』を読みながら、筆者も思い出したことがある。中学まではどの教科もまんべんなく得意だったが、高校に入ると「いつかきっと数学でつまづくだろう」という暗示のようなものがつきまとうようになった。女性は数字に弱いという刷り込みがあったからかもしれない。

すると、数学で少しでも分からないことがあると「私もここまでか」と過度に身構えるようになった。得意科目の英語でも分からないことはあったが、「分からない」に対する自己効力感が違った。

私は本当に数学が苦手だったのか、それともステレオタイプに誘導されたのか。真相は究明のしようがないし、文系に進むことを決めたのは自分なので、誰のことも責められない。かくして、筆者自身も個人のやる気・能力の問題へと帰着するのであった。

男性は家庭に進出している?

続いて、CSに女性が多い理由。「コミュニケーションの仕事だから、コミュニケーションが得意な女性が多い」とステレオタイプに当てはめて考えることもできるが、それ以上に影響しているのは雇用形態だろう。

リブセンスのCSの多くは、契約社員やアルバイト社員。そのためか、応募の段階からほとんどが女性だ。内閣府・男女共同参画局の二〇一七年の調査によると、女性の五五・五%は非正規雇用労働者。他方の男性は二一・九%。事務職のアルバイトを探した結果、ここにたどり着いた女性メンバーも少なくないだろう。

家事・育児の負担割合がいまだに女性が多いことも忘れてはならない。女性の年齢層別労働力率を見ると、三〇代を中心に就業率が下がる「M字カーブ」が現れる。育児休暇や時短勤務といった制度が浸透したことで、ひと昔前よりは「M」の窪みは緩やかになってきている。では海外はどうかというと、スウェーデンやフランスにまったくその窪みは見られない。

内閣府・男女共同参画局より

女性の進学率も、就業率も上がった。なのにどうしてM字が生まれてしまうのか。それは、家庭の中にもステレオタイプがあるから。

女性が社会で活躍するようになったこの数十年、果たして男性も同じだけ家庭のなかで活躍するようになっているだろうか。男性の育休取得を推奨する提案に、かなりの量の否定的なコメントがついているのを見ると、なかなかそうは思えない。

リンクトインジャパンの二〇二〇年の調査によると、日本女性の九〇%以上が「家庭内の業務を自分が主に担当している」と回答した。「組織内でより大きな機会を得ることを妨げているものは何か」という質問に対しては、「仕事と家庭生活のバランス(六九%)」「家族の世話、育児の責任などの社会的な期待(五一%)」「家庭内でのサポートが足りない(四四%)」と、上位三位がすべて家庭に関するものだった。

パートナーとの話し合いの結果、家事を妻が担当することになっているのなら、外野が口を挟む筋合いはない。しかし、ステレオタイプは空気のようなもの。どちらが明言するわけでもなく、自然と「やってしまっている女性」「やらせてしまっている男性」に分かれてしまってはいないだろうか。

ステレオタイプ、偏見、差別はいつも隣合わせ

さて、話をもとに戻し、職種別の男女比について。ステレオタイプは悪いことなのだろうか。男女差は無くさなければいけないのだろうか。

ステレオタイプそのものは、脳の省エネ。日々接する膨大な情報をある程度グルーピングしなければ、情報が爆発し脳が混乱してしまうため、それ自体は問題ではない。しかし、それを自覚しようとしない姿勢が問題を引き起こす。ステレオタイプは、あるカテゴリーの人にどのようなイメージがあるかという「認知」だが、他者への嫌悪的・敵意的感情は「偏見」となり、それに基づいた行動は「差別」となる。

ステレオタイプに注意しなければならないのは、ステレオタイプ、偏見、差別は地続きでつながっているから。医学部不正入試のような明らかな差別も、ジェンダーステレオタイプになじみすぎた人たちによって引き起こされたものだ。

差別にまで至らなくとも、無意識下のステレオタイプ脅威すら、人の機会を奪うほどのパワーを持ちうる。本来なら開花したはずの才能がステレオタイプによって潰されるのは、社会にとっても損失だろう。

前出のエンジニアの女性がこんなことを言っていた。

「若い頃は、エンジニアに女性が少なくてもやりづらさを感じなかったんです。エンジニアとして上に上がっていくことも考えていた。でも三〇歳に近づくにつれ、少数派のデメリットをひしひしと感じるようになりました。家庭のことを考慮すると、『絶えず働く』という男性に標準化されたキャリアパスでは頑張りきれないかもしれないです」

そんな不安を打ち明けてくれた。ふと、彼女のパートナーは同じように、家庭を理由にキャリアの不安を抱えているのか気になった。

女性比率が上がることのメリットは、キャリアパスが多様になること。キャリアパスが多様になることで、産休・育休で職場を離れた女性だけでなく、留学、療養、介護など、さまざまな事情を抱えた人たちにとっても可能性が広がるはず。

男女の差を無くすことが目的なのではない。それは手段の一つにすぎない。一人ひとりが平等に機会を与えられ、ステレオタイプに潰されることなく自らの人生を選択できることが、個人にとっても社会にとっても大きな価値になるのではないか。

ステレオタイプは空気のようなもの。時代は変わったのだから、窓を開けて空気を入れ替えなければいけない。