2024.05.07

キャリアに迷ったときに陥りがちな自分探しという罠

 性格診断、才能発掘、強みに目覚めよう。というような、自分自身を深く知るためのコンテンツをよく見かける。
 説明文には「自分について不思議なくらい正確な説明が手に入ります」とか「あなたの才能はダイヤモンドの原石だから、磨いて輝かせよう」というようなことが書かれていて、自分の仕事ぶりやキャリアに不安があるときは、つい頼ってしまいたくなる。

 自分自身もまだ知らない「本当の自分」に出会いたいという欲望がある。
 自分の才能を知って、もっと自分に合う仕事を見つけたい。強みを活かして、自分らしく活躍したい。性格のタイプと相性を理解して、人付き合いを円滑にしたい。コンテンツはそういう欲望に応える。
 人それぞれには得手不得手や、向き不向きがあるのだろうし、営業に向いている人と、デザイナーに向いている人が異なっているということは、直観的にも正しいように思える。

 しかし、「本当の自分」という不確かなものに、どこまで自分を預けていいのだろうか。
 この手の診断が教えてくれる類型は、果たして妥当なものなのか。その診断結果を受け入れ、自分の傾向を強化していいものか。またそれによって本当に適切な仕事や仲間を選択できるのか。そういう現実的な活用については、今ひとつ疑問が拭えない。
 むしろこうした診断によってわたしたちが得ているのは、適切なキャリアの再考などではなく、自分自身の素晴らしい「潜在能力」を信じることによって柔らかく現れる、現状の生ぬるい肯定ではないだろうか。

 そんな話をマクラにして、今日はキャリアチェンジについて考えたい。キャリアチェンジという言葉は、意味するところの曖昧な言葉であるため、とりあえずは携わる仕事や業界をがらりと変えることを指すことにするが、広くキャリアに悩んでいる人には関わるところがあると思う。就活にも当てはまるかもしれない。
 この記事は、そういう悩みを劇的に解消はしない。というよりも、キャリアの悩みの劇的な解消そのものを否定する。しかし、じっくりと向き合う手立てにはなるかもしれない。

自己分析は仕事探しに役に立つのか

 タイプ診断のようなコンテンツでは、人それぞれに資質や価値観や適性が備わっているとされる。季節によってころころと変わるようなものではない。少なくとも数年くらいは変わらないような、個性とも言えるものだ。
 そういう適性とはどういったものなのか。向いている仕事や不向きな仕事は、あらかじめ決まっているのか。それをもとに職業を選ぶことはできるのか。これが最初に考えたい問いである。

 自己分析をして職業を選ぶという風潮は、特に新卒就活の界隈では顕著である。転職でもキャリアカウンセラーやキャリアコーチによっては、こういう分析を行うかもしれない。自分にあった会社を選ぶためには、自分のことをよく知る必要がある。と考えると、必要なプロセスのように思える。
 こうした手法にはいくつかの源流があるのだろうが、その一つを作ったのは、キャリア論の大家であるエドガー・シャインである。惜しくも昨年に九四歳で亡くなったシャインは、キャリア論において重要な概念をいくつか考案したが、もともとは心理学者だった。働き手の心理から、キャリアへのアプローチを試みた点が画期的だった。

 エドガー・シャインは、人それぞれに、仕事に対する不動の価値観があると考えた。
 たとえば、ひたすら自分の専門性を追求したいという人もいれば、誰かに貢献することがやりがいだという人もいる。安定して働くことが何より大事だと思う人もいれば、無謀な挑戦を続けて生涯を終えたいという人もいる。多くの調査を通じて、こうした価値観を自覚することが、キャリア選択において重要だと見抜いた。
 シャインはこうした価値観を、船の いかりに見立てて、「キャリアアンカー」と名付けた。まさしく動かないものの喩えだ。

 個々人が抱いているアンカーと、今取り組んでいる仕事が一致していれば、つまり自分の真下に錨が落ちていれば、その人は仕事を変える必要を感じない。現状の仕事に安心を覚え、業務に集中することができる。
 一方でアンカーと実際の仕事に乖離があれば、その人はアンカーのほうに引っ張られるような感覚を覚える。今の仕事は何かちがう。ズレている。そういうふうに感じる。ざっくりいえば、キャリアアンカーというのはこういう概念だ。
 仕事に対する価値観とも言えるキャリアアンカーは、八つのタイプに分かれている。「専門性の追求」「マネジメント志向」「自由と自律」「安定第一」「起業家精神」「純粋な挑戦」「奉仕や献身」「ワークライフバランス」の八つだ。

 キャリアアンカーは、キャリアチェンジを考える上で有効だろうか。確かにこうした項目は、働く動機や希望に結びつくものであり、ある程度の参考にはなりそうだ。安定性を大事にする人はスタートアップに飛び込まないだろうし、専門性に興味がない人は技術職にはつかないのかもしれない。
 しかし、ここから未来を描くのは難しいのではないか。
 綿密な自己分析によって自身の真に求めるところを明らかにし、それにあわせて目指すべきキャリアを計画する。そういうやり方は確かに理想的かもしれない。それができれば、それでいい。
 ただ、それができる人ばかりではない。キャリアに悩む人たちの多くは、自身の求めるところがわからず、ぼんやりとした違和感を抱いており、日常の仕事や生活のなかで不安が少しずつ膨らんでいく。そういう仕事生活を送っている。診断コンテンツに自分の資質を教えてもらっても、それを現実に活かすのは難しい。

 実際のキャリアチェンジはきっと、そんなシンプルには進まない。もっとゆっくりと起こる。逆算的にではなく、探索的に。演繹的にではなく、帰納的に。直線的にではなく、ジグザグと進む。ときに引き返したり、三叉路で立ち止まったり、偶然的な出逢いに導かれたりして、そうして進んでゆく。

 一人のケースを取り上げたい。リブセンスでエンジニアとして働く小野祐太さんはいまから五年前、二九歳のときにソフトウェアエンジニアになった。その前はまったく違う仕事で、薬剤師をしていた。
 薬剤師からエンジニアへのキャリアチェンジ、とだけ聞けば、それは華麗で劇的なものに映るだろう。では、実際に彼がどのようにして薬剤師からエンジニアへのキャリアチェンジを果たしたのか。そこには紆余曲折があった。

暗中模索のキャリアチェンジ

 小野さんは薬学部に六年通い、そのあと薬剤師として六年勤めたから、計一二年を薬剤師という仕事のために費やしたことになる。
 そもそも薬剤師を目指したのは、どちらかというと後ろ向きな理由だった。高校生のとき音楽の道を考えていた彼は、在学期間の長さと、潰しが効くという理由で薬学部を志望する。途中で音楽の道は諦め、そのまま薬剤師の職についた。
 はじめて就職したのは、大手薬局チェーンの店舗。しかし職場は年功序列で給与が決まり、実力が評価される仕事ではなかった。処方箋を受けて薬を用意する調剤の仕事は、正解が決まっていて工夫の余地が小さいのに加えて、どれだけ上手になっても顧客に指名されることもない。小野さんにはそれが不満だった。

 もっと実力主義で、自身の成長がそのまま顧客や会社からの評価につながるような、そんな環境で働きたい。小野さんはそう考えて、就職して三年が経ったときに、薬剤師を辞めることを決意した。
 そのときのことをこう振り返る。

「薬剤師は人を助けるいい仕事だと言われます。でも、他人からの評価は関係ないんです。自分がこれには価値があると思える仕事をしていないとダメなんです」

 彼はそう思って、キャリアチェンジを決意する。薬剤師を辞めることを決めたとき、次なるキャリアに移るために、彼が次に取った行動はなんだったのか。
 それは転職サイトや人材紹介会社への登録でも、プログラミングスクールへの入学でもない。
 べつの薬局への転職だった。

「薬剤師はもう辞めようと思っていたので、だったら給料で選ぼうと思って、地元の薬局に転職しました。キャリアチェンジしたら給与が下がるだろうとも思ったので、その準備でもありました」

 ここから彼が実際にエンジニアとして転職するまで、実に三年の月日が流れることになる。
 その間ずっとプログラミングの勉強をしていたわけではない。地元の薬局に移ってすぐは、まだ次の仕事を何にするかも決まっていない状態だ。小野さんはまず、何を仕事にするかから模索しはじめる。
 予備校の講師を検討し、面接を受けてみたこともあった。薬剤師として務める傍らで、イベント運営の事業を試したこともあった。どれが自分の仕事に合うだろうかと、試行錯誤を続けた。その道のりはスムーズだったわけではない。暗中模索そのものである。

 いくつかの軸はあった。年功序列ではなく、実力主義の仕事がいい。努力したぶんだけ、成果があがる仕事がいい。自分が成長したら、会社や同僚が喜ぶような職場がいい。合理的に考える同僚が多いほうがいい。正解が決まっているのではなく、自ら仕組みを作ったり、工夫の余地がある仕事がいい。
 でも、それだけの希望をあげ連ねても、当てはまる仕事は無数にある。

 たまたま読んだ本がきっかけで、エンジニアという職業が気になりはじめる。実力主義で働けるかもしれない。真剣に打ち込めるかもしれない。
 それでも、いきなり転職はできない。書籍でプログラミングの本を探してみる。オンラインスクールに通ってみる。現役エンジニアにメンターについてもらって、プログラミングを学んでみる。面白そうだ。仕事にできるかもしれない。仕事に行く前も、休憩時間も、仕事が終わってからも、プログラミングの勉強を続けた。
 そのうち現役エンジニアのメンターたちにもお墨付きをもらって、エンジニアとして転職活動を始める。二九歳になっていた。

 三十歳近くからのエンジニアキャリアへの挑戦に、気後れはなかったのだろうか。自信があったのだろうか。

「エンジニアになれるという自信はぜんぜんなかったです。ただ薬剤師は免許があればいつでも戻れることは知っていたので、職を失う不安はなかったんです。どちらにせよこのままだと悔いが残りますし、何年も悩んでいたので……それでエンジニアがよさそうだなと見つけたので、試さずにはいられなかったんですよね」

 薬剤師からエンジニアへの転身とだけ聞くと、なんと華麗なキャリアチェンジだろうと思う。しかしその裏には、数年にも渡る準備期間と、複数の選択肢の模索があった。
 結果として小野さんはエンジニアになったし、今ではその仕事をすっかり気に入っている。しかしそうならなくても、きっと別の仕事を見つけていたのだろう。そう思わせるインタビューだった。

キャリアチェンジにはなぜ時間がかかるのか

 転職を決意してから、実際に転職するまでにかかった三年という時間は、特に二十代の小野さんにとっては短くない時間だっただろう。小野さんは特別に長い時間がかかってしまったのだろうか。もっと手っ取り早くキャリアチェンジを行う方法はあるのだろうか。
 おそらくそういう手っ取り早さは存在しない。キャリアチェンジとは、ただ仕事を変えることではないからだ。

 キャリアチェンジとは、ただ自己分析をして、それに当てはまる天職を見つければよいというものではない。パズルを解くように、天職を見つけることはできない。そこには、キャリアチェンジに必然的に伴う葛藤がある。
 これまでの仕事を辞めようと決意し、新たな選択肢を探し求めるときはまだ、人は前向きに動くことができる。しかしいざ次の仕事が具体的に現れると、これまでのキャリアに区切りをつけることへの抵抗を感じ、人は二つの選択肢のあいだで揺れ始める。
 先へ進めば、これまでのキャリアを捨てることになる。進まなければ、また変わらない日々が待っている。安全圏を脱出することの恐れ。自分の学んできたことを捨てる躊躇。新たな職場に身を投じる不安。そういう居心地の悪さが否応なしに去来する。

 キャリアチェンジとは、仕事を変えることではない。自分自身の物語を書きかえることだ。
 そう言い放った人がいる。ハーバード・ビジネス・スクールで教鞭をとったのち、国際的なビジネススクールの教授となったハーミニア・イバーラだ。イバーラは従来考えられていたキャリアチェンジのセオリーをひっくり返し、新しい見方を提唱した。
 従来の考え方とは、まさにパズル的なものだ。自己分析をして、これまでの仕事を振り返り、自分に向いているものを突き止める。自分でも気づいていない「本当の自分」にすがり付く。

 しかし、イバーラはこうした方法をきっぱりと否定する。
 自分の内面で宝探しをしていないで、手足を動かして可能性を作り出そう。彼女の提言を端的にまとめるとそのようになる。
 イバーラは自己分析をして適性を見出すことよりも、たくさんの可能性を作り出すことを推奨する。キャリアの計画を引くかわりに、試行錯誤を薦める。自分に合う仕事を想定してそこにまっすぐ進むよりも、行動しているうちに目指す姿が変化するものだと考える。

 彼女が薦める試行錯誤とは、具体的にはこういうものだ。本やオンラインコースや学校で、さまざまなことを実際に学んでみること。今の職場とは異なる、新たな人間関係に触れること。面白そうな仕事に、趣味や副業として取り組んでみること。そうした具体的な行動を繰り返した結果として、キャリアチェンジはなだらかに起こっていくものだと見る。
 キャリアチェンジにかかる月日を、イバーラは三年から五年と見積もっている。キャリアチェンジに三年から五年かかるという彼女の考えを、長すぎると訝しる人もいるかもしれない。しかしこの時間は、小野さんが転職をするまでの期間にぴたりと符合している。

 なぜそんなに時間がかかるのか。自分自身の物語を書きかえるとはどういうことなのか。
 いざキャリアが実際に変わろうとするとき、人は古いキャリアと新しいキャリアのあいだで板挟みになり、心が揺れる。それは青虫が蝶々へと変わるあいだの、サナギの期間に似ている。外からは変わらず見えても、内心では葛藤がある。
 小野さんはどうだったのだろうか。

「今では、もっと早くエンジニアになっておけばよかったと思います。ただ学んできたことと仕事にしていることに、一貫性があった方がいい仕事ができるんじゃないか、という葛藤はありました。薬学部を出たのに違う仕事に就くと、どちらの道でも中途半端になってしまうんじゃないかと思って」

 まさにキャリアチェンジとは一貫性の喪失であり、そこまで続いてきた物語の訂正を強いられるものだ。
 キャリアチェンジにあたって一番に困難なことは、ここにある。それは新たな未来を手にすることではない。自身の過去にケリをつけることだ。

「本当の自分」という幻想を手放した先に

 時代の変化の速さも手伝っているだろうか、冒頭に書いたように、いま世の中には「本当の自分」探しがあふれている。
 本当の自分、唯一の自己像、確固たるアイデンティティ、性格のタイプ、あなただけの才能。そういうものの一切が、わたしたちを懐柔してくる。自分に自信がないときほど、内面の支えに頼りたくなる。宝探しをしたくなる。
 しかし、それが新たな未来を引き寄せるわけではない。自分が変わることによってキャリアチェンジが起こるのなら、「本当の自分」に固執することはキャリアチェンジの障害にさえなる。

 そもそも、たったひとつの自分像に縛られる必要もない。誰だって取り組む仕事や、ともに働く同僚や、出席する会議の種類によって、異なる得意を発揮している。
 ブレインストーミングをしているときと、エクセルで数字を確認しているときでは、異なる自分が発揮されていて当然だ。そういうことはネット上のコンテンツから離れて、現実の仕事の一日を振り返ってみればすぐにわかる。
 もっと極端な例もある。フランツ・カフカは保険局に勤めながら小説を書き、アンリ・ルソーは税関の職員を務めながら絵画を描いた。こうした例は枚挙にいとまがない。わたしたちはお仕着せのタイプや資質に縛られずに活躍することができるということを、彼らは教えてくれる。
 対峙する仕事のほうだって、じっと固定化されてはいない。時代や、業界や、職場や、顧客や、同僚に応じて、同じはずだった仕事もその姿を変えていく。そんなときにいちいち「本当の自分」との相性を持ち出しても、窮屈になるだけだ。

 仕事の向き不向きをあらかじめ知ることはできない。わたしたちはそれを振り返って判断するだけだ。これは向いている仕事だった、向いていない仕事だった、と遡行的に言うことしかできない。ある期間を経たあとの、振り返りとして。
 キャリアチェンジは逆算的にはなし得ない。試行錯誤するしかない。本記事なりの結論は、そういう身も蓋も無いものだ。
 それでも自分の未来を変えたいのなら、暗闇のなかを進んでいくしかない。ときには失敗や撤退もあるかもしれないが、キャリアチェンジとはそもそもそういうものなのだ。それを知っているということは、いくらか不安を和らげてくれる。

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