2023.02.14

重要な役割を担うはずの「従業員代表」はなぜ空疎になってしまうのか

 二〇二二年の四月一日に、米アマゾンで労働組合が結成された。立ち上げの中心的人物となったのは、元ラッパーのクリスチャン・スモールズ氏。一九九四年の創立以来、無労組経営を貫いてきたアマゾンにとって、初めての出来事だった。アマゾンは組合設立を阻止するためにコンサルティングを雇い、キャンペーンを展開していた。
 労働組合の組成の動きは、アマゾンだけの話ではない。ここ二、三年でグーグルやアップルでも労働組合の動きが報道された。シリコンバレーの労使関係は、新たな展開を迎えつつある。

 以前のテック企業は労働組合を持っていなかった。そういうものは時代遅れの制度だとさえ思っていただろう。
 シリコンバレーに勤める人たちは、みな高待遇で転職しやすい人たちだった。産業の発展とともに彼らの待遇はインフレを続け、高い給与、手厚い福利厚生、遊園地のようなオフィス、そして十分なストックオプションが用意された。
 そうした環境において、労働環境の改善のために声をあげる必要はほとんど感じられない。仮に所属する企業に決定的な不満があったとしたら、他の会社に移ればいい。人材の流動性と獲得競争こそが、企業を労働環境の改善に向かわせもした。組合による交渉という手間のかかるプロセスを踏む必要はなかった。

 しかし、現在のビッグテックはそうなってはいない。人材構成は多様化し、一部の高給取りだけが勤める会社ではなくなった。
 冒頭にあげた米アマゾンの労働組合は、物流倉庫で働く人たちが立ち上げたものだ。彼らはクラウドファンディングで資金を用意し、駐車場に設置したテントでバーベキュー料理を振る舞いながら、組合の必要性を訴えた。
 いまやテック企業を、文字通りのテック企業と呼ぶことはできない。そこには職種や国家や属性をまたぎ、多種多様な人材が働いている。アマゾンは倉庫と物流を蓄え、アップルは小売を広げ、グーグルはコンテンツ監視に多数の人手を抱えている。

 こうした変化は米国だけのものではない。いずれ日本にもやってくるだろう。しかしまだ日本のテック企業で労働組合が立ち上がったケースは少なく、ここで検討するには時期尚早に思える。
 そこで今日考えたいのは、労働組合を持たない企業において、労働組合の一部機能を代替する「従業員代表」という制度についてだ。

 果たしてこの従業員代表という制度は正常に機能しているのだろうか。働き手は選出された人たちを、自分たちの代表であると思えているだろうか。
 あなたは自分の会社の従業員代表が誰なのか、すなわち誰に自分たちの意志を託しているのか、すぐに名前をあげることができるだろうか。

立ち位置のあやふやな従業員代表という制度

 従業員代表という制度は、奇妙な二重構造のなかにある。重大な責任が与えられているにもかかわらず、その権利ははっきりしない。
 今日では労働組合に比べて、はるかに多くの企業で運用されている制度だが、法的な立ち位置は微妙なところだ。労働組合については日本国憲法や労働組合法でその権利や責任が明瞭に定められているのとちがって、従業員代表はあくまでその代替機能として、あちこちの法律に登場するに過ぎない。
 もっとも有名なものは労働基準法の第三十六条、いわゆるサブロク協定にまつわるものだろう。こんな文言になっている。

使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし……

 ここで書かれている「労働者の過半数を代表する者」こそが、いわゆる従業員代表や過半数代表である。
 こうした文言からは、労使協定を行う立場として第一に労働組合が規定され、その代替案として従業員代表が定められているに過ぎないことが見てとれる。
 従業員代表そのものに関する規定は法律文面上は存在せず、かろうじて労働基準法の施行規則に、選出方法の注意点が記載されているだけだ。従業員代表の包括的な権利について謳った法律は存在しない。

 ここには法律と実態のねじれが見てとれる。法律は労働組合を第一の選択肢として規定しているが、実際に会社の多くは労働組合を持っていないし、働き手の多くは労働組合に所属していない。
 なんせ厚労省の調査によれば、令和四年に労働組合に所属している人の割合は一六・五%に過ぎないのだ。六人に一人しか労働組合に属していないことになる。実際には多くの人が、従業員代表に労使関係を委ねている。

 従業員代表に求められる役割はいくつかある。代表的なものはサブロク協定をはじめとする、さまざまな労使協定の締結だろう。ほかに就業規則について意見書を作ったり、安全委員を推薦したりもする。
 ただし、そこでどのように振る舞うべきなのか——すなわち最低限のチェックだけを行えばいいのか、従業員から広く意見を集めて積極的な交渉を図るべきなのか。そうした従業員代表のあるべき姿については、どこにも規定されていない。いわば当人のやる気に委ねられている。
 労働組合に代わって労使協定を締結する立場である以上、同じような志向性が求められていると考えてもいいだろう。理想の姿は、経営者と対等の立場に立って交渉を行い、従業員の地位や労働条件の向上を目指すことなのかもしれない。
 しかし、一従業員に過ぎない従業員代表が、労働組合と同じレベルで交渉のテーブルにつくことは現実的ではない。その荷はあまりに重すぎるし、それだけの権利も与えられていない。
 実際にこの制度はどれほど有効に機能しているのだろうか。まずは従業員代表を担ったことのある当事者の声を聞いてみたい。

従業員代表の活動を困難にする三つの要因

 リブセンス社内で従業員代表を務めたことのある、小山舞子さんに当時の状況を聞いてみた。Q by Livesenseのライターでお馴染みの小山さんである。リブセンスでは一年の任期で従業員代表が変わり、小山さんは二〇二一年度を務めた。自ら立候補したわけではない。前任者の推薦によって候補者となった。
 従業員代表のあまりに大きな負荷について聞いてみると、小山さんは開口一番「そんなに負担でもなかったというのが正直なところです」と答えた。

 小山さんの話を聞いて、従業員代表はその役割を十全に果たすのがとても難しい制度だと感じた。活動を困難にさせている要因は三つある。
 一つめは「仕事の受動性」だ。従業員代表の主な仕事は、人事からの依頼によって発生する。
「規則の改訂や労使協定など、確認すべき書類があれば人事から連絡がきて、それを各事務所の従業員代表が確認するという形でした。背景を理解して、文言を見て。変なところはないか、引っかかるところはないかなと内容を確認していましたが、意見を述べたことはなかったです」
 従業員代表はどうしてもこういう動きになりがちだ。みな本業は別のところにあるから、自ら労務関係の法律をチェックしたり、会社の人事方針を察知したりするわけではない。
 結果的に仕事は受け身にならざるを得ない。渡された文書をチェックし、違和感を探すことになる。逆にいえば、ゼロから自分たちで最適な形を考えることはない。

 二つめは「専門性の欠如」だ。リブセンスの場合(そして多くの日本企業では)従業員代表を一年の任期で交代している。一年で交代する本業外の仕事について、専門知識を蓄え、プロとして任務を果たすことは難しい。
「法律に詳しいわけでもないし、どこまでがOKなのかNGなのかの基準が、自分の中に明確じゃなかったですね」
 小山さんがそう言うのも無理はない。知識や経験もなく、他社の事例も知らない人が、自社に最適な決定を下すのは難しい。
 念のためフォローしておくと、リブセンスの労務はとても丁寧な説明を行っている。決して説明を意図的に省いたり、乱暴な依頼をしているわけではない。説明のためのドキュメントを用意し、質疑応答の機会を設け、従業員代表が責任をもってサインできるようにお膳立てをしている。しかし労務がお膳立てすればするほど、それは対等な交渉から遠のいてもいくだろう。

 三つめの要因は「人事への信頼」である。小山さんはヒアリングのなかで、しきりにこんなことを口にした。
「リブセンスの人事はそんな変なことをしないだろうという信頼感がありました」
 これ自体はとうぜん悪いことではない。人事への信頼が薄い会社より、厚い会社のほうがいいに決まっている。しかし信頼が交渉ごとを甘くさせてしまうこともあるかもしれない。従業員代表には相手を疑ってかかるような注意深さが求められるが、信頼がそれを鈍らせることは十分にあり得る。

 仕事の受動性、専門知識の欠如、人事への信頼。こうした課題は企業によって大小あれど、リブセンス特有のものではなく、制度が招く必然的な事態であるように感じられる。
 従業員代表という制度を健全に機能させる手立てはあるのだろうか。他国の事例を見てみたい。

複数名を前提にしたドイツの事業所委員会

 先に確認しておきたいのは、労働組合の組織率の低下は日本だけの話ではないということだ。北欧諸国などの一部の例外をのぞけば、多くの国で労働組合は減ってきており、従業員代表が重要性を増しているという状況には変わりがない。ここでは先進的と言われているドイツの制度を見ていきたい。

 ドイツでは従業員代表に相当する機関を「事業所委員会(Betriebsrat)」と呼ぶ。ドイツでは労働組合は産業別に組織されることが多く、会社ごとには事業所委員会が置かれている。
 委員会という名前になっているのは、日本とちがって複数名で構成することを前提としているからだ。日本の従業員代表は基本的に(事業所ごとに)一名で構成されるから、この点からして日本とドイツは異なっている。
 事業所委員会の人数は、事業所の規模によって異なる。大きい事業所であれば、それだけ多くの人数が就くように法律で定められており、従業員が五十人を越えれば必要な委員は五名、千人を越えれば委員の数は十五名にもなる。対して日本では、事業所の規模が何千名になろうとも、従業員代表は一人のままだ。
 ドイツでは規模が大きくなった場合には専従の委員も置けるようになり、二百人以上の組織では、一人以上の専従委員を置く必要がある(ただし専従については分割することもできる)。リブセンスの規模であれば必要な委員数は九名、専従委員は一名となる。
 人数が多くなれば、そこにはとうぜん、知識の蓄えや議論が起こるはずだ。構成員の多様性を支えることもでき、多角的な視点は、より現実的な検討を可能にするだろう。日本でも事業所が複数あれば事業所ごとに従業員代表を置くことが定められているが、それはあくまでそれぞれの場所の代表を擁立しているのであって、委員会のように代表が複数名で構成されているわけではない。

 日本と異なる点は人数以外にもある。事業所委員の任期は四年であり、一年で交代することの多い日本の従業員代表より遥かに長い。先ほど専門性の欠如を課題にあげたが、これほどの期間があれば、仕事の傍らで取り組むにせよ、腰を据えて携わることができるだろう。
 委員の活動に必要な経費は会社から支給されると共に、活動に必要なぶんの労働義務も免除される。つまり活動はすべてその会社の仕事として行われる。この点が明記されているのも大きな違いである。
 日本の従業員代表だって就業時間内に活動しているだろうが、こうした権利が法律に明記されているわけではない。日本の従業員代表制度がその権利について曖昧なのとちがって、ドイツでは事業所組織法が整備されている点に大きな違いがある。

 しかしそんなドイツといえど、すべての事業所に委員会が設置されているわけではない。設置しないことによる罰則は規定されておらず、中小企業ではほとんど設置されていない。従業員規模が大きくなれば設置している割合も増えるが、五百人以上の規模に限っても九〇%ほどに留まるようだ。また労働組合ほどではないにせよ、年々設置が減っているという調査もある。

日本の従業員代表という制度は見直されるべきなのか

 ドイツの制度が整備されていることはよくわかった。だったら日本も今すぐドイツのような従業員代表の法制度を整えるべきだろうか。過去にそういう議論もあったようだし、そういう時代が来るのかもしれない。
 しかし制度を整えれば、実情が追いつくわけではない。労働組合にせよ従業員代表にせよ、大切なのは自主性である。現場が求めていないものを法律が整備したとて、それはいかようにも形骸化する。
 ビッグテックに相次いだ労働組合の組成は、新たな時代の訪れを感じさせる出来事だった。この波はいずれ本邦にも届くだろう。しかしそのときにアクションを起こすかどうかは、制度やトレンドが決めることではない。冒頭に引いたクリスチャン・スモールズ氏だって、昔からある制度を粘り強く活用したに過ぎない。

 結局、従業員代表が果たすべき役割は何なのか。それはそのまま「あなたは従業員代表に何を期待しているか」という問いに変換される。
 従業員代表はその名のとおり、従業員を代表しているだけである。従業員代表について書いた法律は、従業員が経営者と交渉したり意見する機会を提供しているだけである。選挙に参加した一人ひとりが自ら選んだ代表に何も期待していないなら、従業員代表が果たすべき役割は存在しない。黙ってサインするだけだ。
 法律で機会が保障されているからといって、みな両手をあげて従業員代表や事業所委員会をやりたいだろうか。そんなのは面倒くさい、自分の仕事に集中したいという人が多数を占めるかもしれない。だからこそ労働組合だって廃れてきた。制度はあくまで制度に過ぎない。
 こうした労使の対話の空洞化は、経営者の側にも責任がある。一部の経営者は従業員の自主性を疎んで労働組合の組成を阻んだり、従業員代表に対して寝た子を起こさないようにしてきた。その結果、労使協調という言葉は過去のものになりつつある。

 時代や国家によって制度が変わっても、その本質は変わらない。働く人たちが自らの手で職場環境を改善するための手立てを、法律は確保する。しかし法律は機会を提供するだけだ。自動的に改善してくれるわけではない。労働組合や従業員代表が割りにあわない制度なら、形骸化させたっていい。それもまた権利行使の形である。
 しかしそこに可能性を見出すこともできる。従業員代表に立候補して、労使協定や就業規則に意見を述べることもできる。そこまでせずとも、意志を持って投票したり、従業員代表に自分の意見や不満を伝えたりすることもできる。
 自分たちに与えられた権利を形骸化させる前に、自分が投じた一票ぶんくらいは、この制度について省みてもいい。

参考文献

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編集後記