2021.09.30

Q by Livesenseの舞台裏

 今日はこのブログ Q by Livesense の舞台裏を明かす。べつだん隠すことはないので、赤裸々に書きたい。
 大きくわけて三つのことについて。はじめに、どういう人たちが運営しているのか。執筆や編集、サイト管理の体制。二つ目は、Q byが取り扱うネタのポリシー。Q byの核となる部分だ。そして三つ目は実際のページビュー数や目標設定のこと。どれくらい読まれているのか。ぼくらがどんなKPIを追っているのか。
 企業ブログが(もしくはオウンドメディアが)こういうことを明かすのはあまりないことだと思うので、何かの参考になれば嬉しい。

 なお立ち上げの背景に関しては以前に「今企業は何を書くべきか?オウンドメディアの現在地点」という記事で記載したので、そちらを参照されたい。今回はその後の運営を踏まえ、重要な細部を描こうと思う。

等身大で書く、個人が個人として書く

 Q byはぼくを含めて四人で執筆している。読者から執筆者が見えることは、Q byのこだわりの一つだ。よくよく読むと扱うネタや書き方に、執筆者の個性が強く出ている。

 企業の広報ブログは執筆者の名前を出さないものも多い。リブセンスも前身となる広報ブログではそうしていたが、Q byでは名前と顔を出すように変更した。本名でなくてもいい。ビジネスネームやペンネームでもいいが、とにかく何かしらの固定された名前を出す。
 それは誰でもいいような誰かの仕事ではなく、他でもない自分の仕事なのだということだ。
 企業の仕事は誰でもできるようになりたがる。そういうリスク管理はある程度あってもいいが、行き過ぎると毒になる。いつのまにか交換可能な会社のパーツになって、匿名の働き手になってしまう。そうならないように、Q byでは名前を出す。

 個人が個人として書くことは、Q byの執筆ルールの一つでもある「等身大で書く」にもつながる。背伸びはしない。リブセンスという会社が書いているのでも、広報という部署が書いているのでもない。そこに属している一人ひとりの人間が書いている。
 難しいテーマや問題を扱うのだから、書けないなら書けないでいい。正解なんて最初から存在しない。ただそれでも、書けないということは書ける。それがQ(Question)を書くということだ。だから、Q byの記事には執筆者の悩みがそのまま表出する。どこで躓いてるのか、悩んでいるのか、立ち止まっているのか。それがそのまま記事になる。

 四人という人数は企業ブログにしては大人数と思うかもしれないが、みんな他の仕事もやっているので、専任というわけではない。右上のメニューボタンを押すと、執筆者の一覧が出るので、執筆者ごとの記事はそこから見える。
 ニシブマリエさんは知性と感性を一にした筆致が魅力的である。自身の体験から出発するリードは、堅苦しくなりがちなQ by体験をやわらかく解きほぐしてくれる。それでいて切り口はいつもシャープである。ニシブさんの文章にはいつも青い炎が灯っている。
 小山舞子さんの記事はいっとうQ byらしい。執筆の背景には入念なリサーチやヒアリングを欠かさないにも関わらず、安易な答えに急ぐことがない。体温の伝わる文体も特徴的で、読み手に近さを感じさせる文才を持っている。
 金土太一さんは労務の出で、社内屈指の人事スペシャリストである。確かな知識と豊富な経験に裏打ちされた記事は、見過ごされてきた会社の盲点を突いていて、着眼のユニークさが際立っている。どれも金土さんにしか書けない記事だ。
 以上の三名にぼくが加わる。ニシブさんと小山さんは広報の担当であり、金土さんとぼくは人事なので、広報が二名、人事が二名というわけだ。人事担当者が執筆に加わっていることに深い理由はない。リブセンスでは人事部の下に広報チームがいるので、たまたまそういう構成になったというだけだ。

 これに加えて社内のデザイナーとエンジニアがチームに加わっている。シリアスなテーマを扱うブログだが、人間味やコミカルさを忘れさせないデザインは阿部洋平さんが担っている。また縦書きの読みやすさは中野悦史さんが全面的に手がけていて、その健闘の様は技術ブログにも描かれている。
 Q byにおけるデザインと技術の役割は絶大だ。少しおおげさにいえば、Q byはスタイルのほうが本体なのである。記事もまたスタイルを支える一つの要素に過ぎない。
 記事を読んでもらうためにデザインや技術があるのではない。そのどれもがQ byという身体を構成するそれぞれの器官である。それらは組み合わさった全体でリブセンスらしさを表象しているのであって、記事だけべつのブログに持っていけば、もはやそれはQ byではない。ゆえにブログプラットフォームも使わない。

 編集やライティングの外部パートナーは一貫して使っていない。むろん社内完結が最善だと言うつもりはなく、一般的には編集プロダクションやプロのライターを活用した方がいいというケースのほうが多いだろう。会社の魅力をわかりやすく客観的に描写したいなら、そっちの方がいい。
 Q byが書くのはいいところばかりではない。社内の痛いところ、弱いところも含めて書く。自社の魅力を描くというより、ときに批判的ですらある。これはLivesense Timesという自社新聞の精神を受け継いでいる。前身の広報ブログとはべつの、Q byのもう一人の親だ。自社についてシビアに書こうと思えば、外部ライターはどうも具合が悪い。記事は自己批判にならず、外部からの指摘になってしまう。
 またQ byはよく社員へのヒアリングやアンケートをとる。転勤の記事なら転勤経験者に、反社チェックの記事なら反社チェック担当者に、マナー研修の記事なら研修の設計者や受講者にと広く聞き込みをする。書き手のこちらがためらうほどの情報をくれることも多い。彼ら彼女らが率直な声を渡してくれるのは、聞いているのが外部のライターではなく、同僚のぼくらだからだろうと思う。そこには信頼の下地がある。

 広報のチャットルームではQ byの書きかけの原稿が飛び交い、そこにチーム外の同僚からもコメントが飛び交っている。有志で校正をしてくれる人もいる。
 ここはこう書いた方が伝わる。ここがわかりづらかった。ここは実情とちょっと違う。そういった声をもとに推敲を続け、Q byの記事はできあがっていく。そのプロセス全体が一人の書いた記事を、Q byの記事に、リブセンスの記事に仕上げている。

会社と社会を重ねて記事を書く

 つぎにネタ、つまり記事のテーマについて。Q byの根幹をなす記事のポリシーは、突き詰めれば次の一文に集約される。
 Q byが取り扱うネタは、社会の問題であると同時に、会社の問題でなくてはならない。
 これだけだ。他社では見られないリブセンス固有の事情を取り上げても仕方ないし、社会的に話題であってもリブセンス内で起きていない問題は取り上げない。これが鉄則になる。

 会社というのは、社会の部分集合でありサブシステムである。ぼくはそういう立場に立って組織を見る。むろん会社の構成員には偏りがある。尖鋭的な企業であればあるほど(たとえばGoogleや光通信を想像してほしい)、社会と会社の隔たりは大きくなる。そういう事情はあるけれど、一般的にいってある規模の会社になれば、会社は社会の相似形をとる。
 この会社と社会の相似形という前提から、会社問題と社会問題の相似形を考えるのがQ byの基本的なスタンスだ。
 たとえば「エンジニアに男性、CSに女性が多い」という事実。「職場における呼称」で戸惑うこと。「禁煙手当」のモヤモヤした感触。「ビジネスマナー研修」を実施する難しさ。それはどこの会社でも起こっているような出来事であり、世相を反映しているとともに、リブセンス社内でも起こっていることである。

 そういうテーマだから、Q byのほとんどの記事は、執筆前に社内に取材をしている(この記事は数少ない例外だ)。担当者や当事者にピンポイントで聞くこともあるし、大規模にアンケートをとることもある。取材で得た当事者の率直な実感が、Q byの記事に一定の厚みをもたらしている。
 べつにぼくらは執筆のプロではないから、調査や執筆がうまいわけではない。論を立てるのがテクいわけでもない。問題の社会的な原因や、法律的な対処を考えたいなら、専門家が書いた方がいい。統計的に正しい調査をした方がいい。
 でもすべてを専門家に任せてのんびりしているわけにもいかない。社内で問題が起きているならば、ぼくらはみなその当事者だ。そのことについて考える必要がある。
 それぞれの会社にだってできることはあるはずだ。それぞれの個人にだって変えられることはあるはずだ。そう思って、ぼくらは筆をとる。

 記事の書き方、いわゆるライティングについては各執筆者に任されているので、ここで書くことはない。そのへんは個性豊かなので、むしろ違いを楽しんでもらえたらと思う。縦書きという特殊性から、最低限の読みやすさのためのルールはあるけれど、漢字の開き方や表記のゆれなどは、とくに統一していない。個々人が書きたいように任せている。
 苦労話については山ほどあって、最近はよく記事下にある編集後記にまとめられているので、そちらを聞いてほしい。

数値目標の功罪。記事ごとのPVの差について

 さいごに、PV(ページビュー)と目標について。意外と思われることもあるけれど、Q byの目標はほとんど「PV目標」のみである。それだけ聞くと悪名高きPV主義のメディアみたいだ。
 PVばかりを追い求めるとセンセーショナルな内容や釣りタイトルばかりが増え、メディアの質を損なうという論もある。それは否定しない。もちろんQ byはそういうことにはなっていない(だから、まあPV主義というわけではない)。品質を追い求めることと、数値を追い求めることを両立しているつもりである。

 なぜPVを目標に置くのか。そもそも目標を置かないという選択肢だってある。数値化することで失われるものも多い。
 では数値を見なければどうなるか。数値を見ないということは、客観的指標ではなく特定の人によって価値付けがなされるということだ。確かにそれでうまくいくケースもある。広告賞とか文学賞とかそういった類の表彰は、専門家を多数揃えて妥当な価値付けのバランスを探る。それはそれでいい。
 しかし会社では往々にして定性的な評価を下すのは役職者となる。それは鶴の一声で現場が左右されやすくなることを意味する。数値というのは客観的であるからして、社内のヒエラルキーに関係のないフラットな評価を提供する。実際にQ byでも事前の予想が外れて記事がヒットすることは多い。それはチームにとっても大きな示唆を与える。

 目標というのは、スパイスのようなものだ。別に目標がなくても、Q byのやることはそんなに変わらないだろう。ぼくらは変わらず記事を書くだろう。
 でもあった方が、そして達成に近づいたり、未達を憂えたりするほうが、仕事にアクセントが効く。その波を共有する仲間がいることも楽しい。ついでに会社の仕組みにもフィットする。それくらいの気持ちで目標をセットする。かんたんに扱いたいから、PVくらいがちょうどいい。

 じっさいQ byの企画会議において、PVが伸びそうという理由でネタを選ぶことはまったくない。PVが伸びなそうという理由で却下することもまったくない。
 ということは、メンバーは本気で目標を追っていないのか? 手を抜いているのか? そういうわけではない。
 ぼくらは記事がヒットしないときに、それがネタのせいだとは考えずに、つねに書き方のせいだと考える。どんなネタであっても、適切な問いを立て、それが伝わる書き方をすれば広く読まれるはずだ。そういうことがQ byチームの信念になっている。だから、PVという観点でネタは選ばない。
 もちろんこれは厳格には真実ではない、ということもわかっている。ほんとうはネタによってPVの伸びは変わる。そういうことはなんとなくは知っている。でもそれは戦略に組み込まない。組み込むべきではない。そうした瞬間に、Q byはQ byであることをやめてしまう。それがぼくらの法律なのだ。
 あなたが一つの事業を統括していたとする。仮に法律を破れば、手元の事業を伸ばせるとしよう。それでもあなたは、法律を破ってまで事業を伸ばすことはしないだろう。社会のルールを守ることは当然だ。法律を守ったからといって、手を抜いているわけではない。
 同じことがQ byのネタ選びにもいえる。ぼくらは本気でPV目標を追い求めているが、ネタ選びにそれを持ち込むことはしない。ぼくらはぼくらの法律を守っている。

 目標PVはだいたい四半期で30,000となっている。これが多いか少ないかはよくわからないけれど、ぼくらにとってはちょうどいい数だ。Q byはまだまだ積み重ねが少ないので、そのほとんどを新着記事で得ることになる。
 一記事あたりのPVは、平均すると3,500くらいになる。多い記事だと10,000をこえるし、少ない記事だと1,000を切ることもある。広く読まれればそれはそれで嬉しいけれど、やっぱり大切にしたいのはQ by全体としてどんな記事ができあがっているか、その全体像のほうなので、PVの少ない記事が出ても気にしない。
 記事を一覧で見たときのバランスのほうを重視する。目標もあくまでチームのものであって、個人ごとに割り振られることはない。

 一つ一つの記事は碁の石に似ている。全体に広く睨みを効かせる看板記事もあれば、いまはまだ活躍の見えない石のような記事もある(碁を嗜んだことがないので、この喩えが適切かはわからないけれど)。どちらも必要なものだ。
 「左利き」や「身元保証書」の記事は確かに地味で、多くの人に読まれるわけでもない。でもそういう布石があって、Q byの全体像が浮かび上がる。記事の陣容から立ちのぼるメディアのらしさこそ、個々の記事がヒットするよりも、ぼくらが遥かに大事にしたいものだ。\

Qbyの狙いと、これからのこと

 Q byは広報ブログではあるけれど、現実を変革する一つの手段だと思って書いている。じっさいにQ byをきっかけにして、社内で仕組みが変わったり、新しい取り組みが起こったことも多い。他社での様子はわからないけれど、上司に見せたら苦労がわかってもらえたとか、記事を読んで意識が変わったといった声も聞く。
 そういう事例を増やすことはQ byの目的のひとつだ。そのためにも記事を読んで終わりではなく、Q byと社会との接点を厚くしてゆきたいと思う。
 音声で届ける編集後記はそんな取り組みの一つだし、読者の方々との交流もしていきたい。勤め先で人事や広報をしている方々ともつながりを持っていきたい。気軽にライターや問い合わせまでご連絡をいただけたらと思う。

 ぼくはもともとエンジニアだった。コードを書いて、プロダクトが現実に働きかけることを夢見てきた。でも、テキストだって現実に作用する。ぼく自身も書物やテキストを読んで、そのたびに自分が変わっていった。みなさんにとってQ byがそういうものになればさいわいである。

新着コンテンツをメールでお知らせします

プライバシーポリシー 及びメール配信に同意の上、登録いたします。