2021.02.05

「正解がない」を逃げ場にしない。ワークショップのつくり手に聞く

 人は、どんなときに変わるのだろう。「価値観のアップデート」と、ことばにするのは簡単だ。しかし、これまで自分が築き上げてきた常識のコレクションをうがった目で眺めるのは、多かれ少なかれ負荷が生じる。刷新という行為は、過去の一部を否定する営みでもある。人によっては、親しい人と別の道を進むことを意味するかもしれない。〝わたし〟のアップデートには、痛みがともなうのだ。

 わたしたちは、他者を変えることはできない。人は、内発的動機づけ、つまり内面から沸き起こった興味・関心・意欲によってしか変わることができない。本人がその気にならなければ、変容は訪れないのだ。

 しかし、変容を助けることはできる。それまで埋もれていたイシューを差し出し、いくつかの考え方を提示し、背中を押す支援者となることはできる。

 リブセンスは、二〇二〇年初春から差別や偏見について扱う「常識を考え直すワークショップ」を実施している。第一回では、炎上した広告をリデザインするワークショップや、自分と異なる性を持つ人物を演じるロールプレイをする場を設けた。第二回では、課題図書を通じてジェンダー論の基礎を学びながら、個人の問題に落としこまれがちなジェンダーイシューを、社会の問題へと広げようと試みた。

 結果、参加者には未来へつながる〝もやもや〟を持ち帰ってもらうことができた。参加者のきもちの変遷は前回の記事を参照されたい。

 「常識を考え直すワークショップ」は、リブセンスのほかに、NPO法人soarと、株式会社ミミクリデザインの助けがあって実現した研修だ。soarはプロジェクトの進行コーディネートを担い、ミミクリデザインはプログラム作成と当日のファシリテーションを担当した。

 本記事では、そんな運営サイドの舞台裏をご紹介する。第二回ワークショップでメインファシリテーターを務めてくれたミミクリデザインの猫田耳子さんに話をうかがいながら、変容を支援するための場のつくりかたについて考えた。

プロフィール
猫田耳子(ねこた・みみこ)
ミミクリデザインのディレクター兼デザイナー。前職のグラフィックデザイナー時代、上流のコンセプト設計に関心を持つようになり同社に入社。ファシリテーション研修や、コンセプトデザインに関するワークショップなどを担当している。趣味は野球観戦。

ジェンダーを、個人の問題から社会の問題へ

 「これほど勉強して臨んだワークショップはない」

 猫田さんはこう振り返る。ワークショップのつくり手として難解に感じたのは、差別や偏見のようなコンプライアンス領域に関する〝暫定解〟を持っていないことだった。

 「たとえばファシリテーション研修なら、弊社のなかでもさまざまなアプローチや知見が溜まっていますし、目指す方向性もある程度共通化されています。けれどもジェンダーとなると、すべての人に最適ななにかを提示することは難しい。ワークショップの参加者にお土産として渡せるものが、ミミクリのなかに溜まっていませんでした。私も他のメンバーも何冊も本を読んで、一緒に学んでいきました」

 わたしたち3社はまず、研修を終えたあとの理想状態を考えた。こういった研修の難しいところは、学びが「これからは気をつけたい」という個人の心がけの域を出ないこと。

 社会というのは、個人の集合でできている。個の多様性を学ぶことで、自身のバイアスを自覚し心構えを見直す。これは、すべての基本となる姿勢だ。実際に、対人関係のなかにあるバイアスに苦しめられる人も多いだろう。ヘテロセクシュアルを前提とした恋バナにうっすらと傷ついたり、両親から「女の子だから、浪人してまでいい大学にいかなくてもいいんだよ」と、がんばることを許されなかったり。ジェンダーバイアスを再生産している人に、自身が持つ偏見を自覚させることは大切なことだ。

 けれども、企業として差別に向き合うなら、それでは足らない気がした。目の前の相手を傷つけないことばを手に入れて、管理職や政治家の女性割合が増えるかといえば、その方法だけでは道のりは長そうだ。社会の不均衡には、もっと大きな、集団的な力が働いている。そこでわたしたちは、「構造的差別」を取り上げることにした。

 「今回のワークショップでは、個人の気づきにとどまらず、社会への接続を考えられるような設計にしたいと思いました。自分がどんなバイアスを持っているかは分かった。その眼差しを、どう社会に移していくか。

 理想状態の一つとして、学んだことを外に出すことができる、という行動を挙げました。個人と社会の間には『コミュニティ』があります。個人の学びがコミュニティの常識に変わり、社会へと浸透していく。学んだことを友達に話したり、ブログやSNSに書いたりして、学びを自分の外へと出していく。完璧な状態にまで思考が仕上がっていなくてもいいんです。いまの考えを出すことが、誰かの学びの土壌になる。そんな循環をつくることを目指したいと思いました(猫田さん)」

読書を通して、ことばという武器を手に入れる

 今回の研修のユニークな点は、課題図書を設けたことだ。全4回のオンラインワークショップのうち、Day1とDay2の間に2週間の読書期間を設定し、参加者にはジェンダーの基礎について自習してもらった。

 必読図書として選んだのが『はじめてのジェンダー論』。推薦図書には、『炎上CMでよみとくジェンダー論』『82年生まれ、キム・ジヨン』『ワークデザイン:行動経済学でジェンダー格差を克服する』。必読図書は全員に読んでもらい、さらに興味を持った人に推薦図書を用意した。運営メンバーが手分けをして20冊以上のジェンダー本を読み、今回の企画趣旨に合いそうな本をピックアップした。

 ジェンダーは、身近なトピックになりやすく「気の持ちよう」として語られがちだ。だが、ジェンダーは学問としても培われてきた。自分や人の痛みを認め「わたしの話」を織りなすことは大切なプロセス。しかし同時に、そのもやもやの正体は、先人たちがすでに研究していることも多い。歴史を知り、知識を身につける。昨今は、一方的に知識を授けるティーチング形式は流行らなくなってきているが、四則演算を知らなければ数学で戦えないように、一歩進んだ対話をするために最低限の知識は必要だと考えていた。

 猫田さんは読書期間に入るにあたり、参加者に「知識を取り入れるだけでなく、ある地点で自分が何を感じたのか、掴んでおいてください」と添えた。読書期間を組み込んだことについて、こう話す。

 「読書期間の前と後で、皆さんのことばがまったく変わっていました。知識を得ることで、自信を得られたこと。それから、ワークショップとしては多少危険もともないますが、居心地が悪く、痛みのある体験を共有できたこと。読み進めるのが簡単ではない人もいたかもしれませんが、ここが大きなターニングポイントになりました」

 読書期間を経て、グループダイアログへ。個人が持つバイアスを棚卸ししながら、社会をどうリデザインしていきたいかを考え、自分ができる「マイクロアプローチ」を探っていった。たとえば、男性の育休取得率を上げることに対し「(男性の自分が)育休を取ってみる」だとか、管理職の女性が少ないことに対し「女性メンバーがリーダーをやりたがらない理由を聞き、寄り添う」だとか。

 そのなかで、個人の嗜好性と社会の加害性の線引きにも話が及んだ。たとえば、性的表現と公共性。一個人が萌え絵を愛する権利は守られるべきだが、どこまで行くと社会的な加害性を帯びてしまうのか。それを考えるとき、猫田さんは「あなたにとっての社会はどこからですか?」という質問を投げかけ、思考をサポートしたという。

 「一人の人間が触れる〝社会〟ってそんなに大きいものじゃないと思うんです。人によっては、会社は社会に感じるかもしれない。でも、会社はプライベートの領域だと考える人もいるかもしれない。個人と社会との境界線を意識することは、自分の嗜好性を意識的に守ることにもつながると思います」

「正解がない」を「考えるのをやめる」の言い訳にしない

 ジェンダーの問題は「正解がない」と言われがちだ。確かに、不変で唯一の正解はないのかもしれない。けれども、正解に近い何かはある。たとえば、アファーマティブ・アクションは、団体や国家が選んでいる答えの一つだ。正解がないのではなく、時代によってそれが変わっていくだけだ。

 運営メンバーは、「正解がない」ことへの向き合い方を慎重に考えるようにしていた。「正解がない」は、一種の逃げ場になってしまう懸念があったからだ。「正解がない」のすぐそばには、「考えるのをやめる」が潜んでいる。唯一の正解はない、けれども考えることもやめない。こういう態度を提案するために、猫田さんがファシリテーターとして心掛けていたことは何だろう。

 「今回はジェンダーを取り上げはしましたが、本質的には、複雑で難しいものをいかに複雑なまま捉えるか、というテーマでもあったのかなと思います。混沌のなかでどう身を置き続けるかを考えること。正解を見つけようと躍起になってしまうと、見つけたことで安心感を得てしまう」

 正解がなくても「考えるのをやめる」ほうへと導かれ、正解があってもまた「考えるのをやめる」ほうへと誘導される。考えることは、疲れる。考えた結果、何を得られるかも定かではない。わたしたちは、それらしいものを見つけて安心したい生き物なのだと自覚しなければいけないのかもしれない。

 猫田さんやミミクリデザインのメンバーは、しきりに自分たちのことを「一歩先をゆく学習者」と表現していた。

 「わたしたちは正解を教える存在ではないけれど、葛藤しながらも学び続ける存在として見せ続ける。それはスタンスとして大切にしたいことでした。ファシリテーター自身が経験していない葛藤を、参加者に葛藤させるって不誠実だなって思っていて。ワークショップのなかでは、わたしたちは権力を持ってしまう。参加者はプログラムに逆らうことができないので。なので、わたしたちならどうワークを進めるかを事前にやり、答えを出せないもどかしさを体感する。そのうえで、参加者に目指してほしい姿を見せることが『正解がない』に対する向き合い方です」

 「よく覚えていることがあります。ちゃん・くんと性別によって呼称が変わる問題を私が提起した後に、とあるグループでは『でも親戚の子には、〇〇ちゃん、〇〇くんって呼びたいよね。なんなんだろう、この呼びたさの正体は』と話していました。私の発言に身を預けるのではなく、批判的思考が育まれて、面白い問いを立てる方が増えたように感じました」

常識を考え〝続ける〟ワークショップを

 これは、まだまだ成長過程にあるワークショップだ。参加したリブセンス社員についていえば、研修をともにしたメンバーとの間には心理的安全性が醸成され、気軽にジェンダーに関することを話せるようになったという声も聞く。しかし、守られた場から出ると、発信することのハードルはまだまだ高いようだ。個人と、コミュニティと、社会。そのうちの「コミュニティ」の輪を広げていく段階なのかもしれない。

 「常識を考えるワークショップ」には裏目標がある。それは、こうした研修をする会社が増えること。一民間企業がせっせと活動していても、社会への影響はほんのわずかかもしれない。しかし、十社、百社と続くようになったらどうだろう。

 2つ前の記事で、わたしたちは「焼け石に水をかけ続けるしかない」と書いた。不均衡はあるものの、少しずつ、だが確実に社会は変わってきている。一九四六年まで、日本の女性は参政権を持たなかった。一九七三年まで、同性愛は精神障害とみなされていた。今では信じられないような常識に覆われていた時代を、声を上げることで過去のものにしてきた。

 今後も「常識を考え直すワークショップ」は継続していく。テーマはまたジェンダーを取り上げるかもしれないし、発達障害やメンタルヘルスといった別の社会課題について学ぶ場にするかもしれない。

 わたしたちはここで得た知見を、社内に閉じることはしない。社外参加者を募りながらコミュニティとコミュニティを少しずつ重ね、水の輪を広げていく。背中を押された人が、いずれは、背中を押す支援者になることを信じて。

執筆 ニシブマリエ

白黒つけようとせず、複雑なものを複雑なままに。そんなスタンスを大切に、ジェンダーや社会的マイノリティを中心に取材・執筆している。リブセンスでは広報を経て、Q by Livesense 編集長に。最近、親になりました。