2024.10.02

介護している同僚が見えない。職場で介護の話をしづらいのはなぜか

 あなたの会社に、家庭で介護をしている人はどれほどいるだろうか?

 私はこの記事を書くまで、介護をしている同僚を一人も知らなかった。5年も会社にいるのに。

 私には介護経験がない。この記事を書くにあたり、記事を読んだり特集番組を見たりして、介護の実情を知ろうとした。実際に、リブセンス社内に働きながら介護をする人がいれば話を聞いてみたいとも思った。しかし、誰も浮かばない。「介護の経験を話しても良いよという方がいらっしゃればDMをいただけたら嬉しいです」と社内チャットで呼びかけた。

 結果、4人からDMをもらった。思っていたよりも反応があったことに驚いた。その中には仕事でよく関わる人もいて、介護の当事者の見えなさを実感した。

 この感覚は発達障害に関する記事を書いたときと似ていた。誰が当事者なのか傍からは全然わからない。本人から打ち明けてもらうまで気付けない。しかし当事者は確実に存在しており、その数も決して少なくない。

 労働者における介護に関連する制度は「育児・介護休業法」に規定されている。しかし、同じ法律に規定されている「育児」と比べると、「介護」の当事者はかなり見えづらい。子育て中の社員の顔は何人も浮かぶけれど、介護をしている社員はそうではない。その差は、育児・介護について話題に上がる量の差でもあるように感じる。

 ではなぜ介護の話が社内でほとんど聞かれないのか。当事者の声をもとに「介護をしていることの言いづらさ」について考えてみたい。

介護離職を防ごうと言うけれど

 介護をしていることは、傍から見てすぐにわかるものではない。妊娠の場合は、お腹が大きくなる。身体的な変化が起こる分、周囲の人にも状況が想像しやすい。しかし、介護の場合は本人が話してくれない限り、周囲が知る術はない。

 実際に私も、4人の社員が声をかけてくれるまでその人たちが介護をしているとはわからなかった。
 認知症やてんかんをもつ母を12年ほど自宅介護している女性社員。難病を患う父の通院付き添いなどの介護を10年している男性社員。てんかんをもつ妻の介護を2年半している男性社員。肢体不自由・重度知的障害の子供の介護を1年半している女性社員。
 介護と一口に言っても、介護の対象者も違うし症状も違うので、介護の内容も介護に必要な時間も、この先いつまで介護が必要になるのかも、一人ひとり状況が異なる。

 休業や手当申請の観点においても、介護と出産・育児では違いがありそうだ。子供が産まれる場合は、産休・育休の手続きや扶養の届出などで、必然的に会社に申告することになる。
 しかし、介護にはその必然性がない。介護休業や介護休暇を取ったほうが仕事にも無理が生じないのかもしれないけれど、介護は出口が見えないために身動きを取りづらい。自分がちょっと無理をすれば日々をやり過ごせてしまうので、休業や休暇の利用に至らないことも多いと聞く。

 介護の言えなさを考えるにあたって、現況についても触れておきたい。
 働きながら家族等の介護をする人は「ビジネスケアラー」と呼ばれる。二〇三〇年には、介護者833万人のうち4割にあたる318万人がビジネスケアラーとなると予測 [1] されている。働く人の21人に1人が該当することになる。
 企業の対策は急務とのことで、経済産業省からガイドライン [2] も発表されている。

 ところが、企業の両立支援強化の動きとは裏腹に「介護当事者が会社に介護していることを言わない・言えない」という問題が存在する。
 国がどれだけ「育児・介護休業法」の中身を充実させたり、企業が独自の支援策を実行したりしても、当事者が介護をしていることを開示しなければ、両立支援のスタート地点にも立てない。

育児と介護の絶対的な非対称性

 当事者は、どうして介護について進んでは話そうとしないのか。育児とは何が違うのだろうか。

 前提として、育児の話と介護の話には大きな非対称性があると考える。
 例えば、子供の粗相や失敗が話題に上がるとき、そこには「(笑)」のニュアンスが含まれている。大変だけど可愛いよね、まだできないことが沢山あってあたりまえだよねと、笑いを誘いほっこりする。
 対して、大人の粗相や失敗談は、なんだか切なくさびしい。少なくとも笑いを誘う感じにはならない。これからもっとできなくなることが増えていくこと、それが被介護者の本意でもないこと、それをいつまで続くか見えない中サポートしなければならないこと。そんな介護者の置かれた状況を考えると、笑うことができそうにない。介護の話は、話す側にも聞く側にもハードルが高い。

 他にも「職場でプライベートな込み入った話をすることに抵抗がある」「キャリアに響く恐れがある」といった理由から、積極的に介護の話をしない当事者は多い。

 本人が話したくないことを無理に開示させるのは間違っていると思う。望まないなら無理に開示する必要はない。一方で、「話しやすい状況であれば誰かに相談してみたい。気持ちを聞いてもらいたい」と思っている人が少なからずいるならば、言えない雰囲気は健全な状態ではない。ましてや、介護を理由に干されたり降格させられたりする不安がある職場環境では、当事者は口を閉ざすしかない。

 お母さんの介護をしている社員(以下、Aさん)に「社内に介護の相談や気持ちを吐露できる人がほしいと思いますか?」と聞いてみた。Aさんは「いたらいいなと思いますが、介護経験がない方だとこの生活は想像ができないと思うので、経験のある方だとありがたいです」と答えた。

 想像するとたしかに、介護の知識も経験もない人と会話をすると、説明をする側に様々な負担が生じるだろう。共感が生まれなかったり、経験者なら百も承知のアドバイスをもらったりして、かえってガッカリしてしまうかもしれない。

どう声をかけていいか分からない聞き手

 Aさんに実際どのような介護状況にあるのかを伺った。
 「症状が重くなってからは6年弱、軽い症状の期間を入れると12年ほど母の介護をしています。架電業務を担当していて、母がいる一階の生活音が相手に聞こえないよう二階の部屋で仕事をしているのですが、母のコンディションによっては高頻度で一階へ降りていき母の様子をチェックします。てんかんの発作があるとき、体調が悪く寝込んでいるとき、認知症の症状で被害妄想が出ているとき、それからいつの間にか家出してしまったときは大変です。介護サービスを契約していても、本人の体調が悪いと利用できないし本人が嫌がることも。そうやって業務に集中できないときはストレスを感じ、しんどいなと思うことがあります」

 話を聞いて、まず介護期間の長さに驚いてしまった。日々症状が違い、その症状への対応も変わってくる。そんな気が張り詰める生活を、Aさんは12年も続けている。

 私には人を介護した経験はないが、飼っていた犬の介護をしていた時期がある。人と犬は違うものの、かけがえのない家族だった。具合が悪化していないか、ケガをする危険性はないか、生きてくれているかが数秒おきに気になり、不安を払拭するために様子を確認せずにはいられない心情はよくわかる。
 もう一つ、「いつの間にか家出をしている」という話で私も思い出したことがある。他界した祖父は認知症だった。ある日、隠してあった車のカギを見つけ出し、子供の頃に住んでいた土地まで運転していってしまった。事故を起こさず、誰も傷つけずに済んだからよかったものの、家族みんな生きた心地がしなかった。
 介護は、そういうことも起こる。緊迫した生活を長年続けているのだから、Aさんの疲弊は相当なものなのではないかと想像する。

 しかし、4人の社員から介護の話を聞いたとき、私は「大変ですね」としか言えなかった。自分の中で感じたこれらを相手に伝えていいものかと逡巡し、結果、共感の気持ちを伝えることしかできなかった。大した介護経験もないのに安易に発言することは失礼な気がしたし、既に他界した祖父や犬の話をすることで死を連想させるのも不謹慎だと思った。

 そのときハッとした。「介護について話せる人はほしいけれど、経験のある人だとありがたい」という言葉は、私のような介護未経験者がつくる距離感のせいなのかもしれないと。話を聞いてどう反応したらよいのかわからずなんとなく距離を取ってしまう局面に、介護者たちは度々遭遇し、そのたびに距離を感じ、傷ついてきたのかもしれない。
 介護について話をしてもそんな反応が返ってきたり、わかり合うことなく話が終わってしまうのなら、以降は進んで話したりせず、話す相手も選ぼうと思うのは至極あたりまえなこと。
 介護について言わない・言えない理由は、特に「聞く側」に原因があるのではないか。

介護者に貼られる「かわいそう」のレッテル

 介護についてインタビューさせてもらうとき、恐る恐る言葉を選ぶ自分がいた。何をどう聞けば相手に失礼にならず、かつ介護の実態についてどこまで突っ込んで質問してよいのだろうか。書き手としての責任感と、相手の心に土足で踏み込みたくないという慎重さが同居した気持ちだった。

 表現に迷い筆が止まってしまったので、Aさんに途中時点の原稿を確認してもらった。そこには前章に書いたような、私が介護の話を聞かせてもらったときにどのような反応をしたらいいのかわからなかったことや、その場では言えなかった胸の内を綴っていた。

 原稿を読んで返事をくれたAさんは、これまでよりもぐっと踏み込んだ話をしてくれた。

 3年ほど前から弟さん家族と、犬2頭と一緒に暮らしていること。とはいえ介護はほぼ自分が担当していること。仕事は好きだけど、家族をないがしろにすることもできない気持ち。介護と両立しやすい業務を希望したいが、それはワガママなのだろうかとモヤモヤしていること。

 この話を聞いて私はすごく安堵した。ああ、お母さんの他にも一緒に暮らすご家族がいらっしゃるんだと。それと同時に「一人で介護を担われていて、孤独でしんどいだろうな」と、自分の中で勝手に悲壮感いっぱいな生活をイメージしていたことに危うさも感じた。十分な聞き取りをせぬままAさんに「かわいそう」のレッテルを貼り、そこで終わりそうになっていた。

 Aさんは他にもこんなことを語ってくれた。

 「母が元気で笑って過ごしていたときを知っているので、老いてできなくなることが増えて悔しい気持ちだろうなと思います。なので、残りの人生で少しでも笑顔の日が増えるよう、母の大好きな美空ひばりのDVDを流して、歌詞を大きな文字でプリントアウトしてあげて、いつでも好きな人の好きな曲が歌える環境にしてます。介護は苦しいときもあるけど、笑ってくれる日が数日続くだけでもとても幸せな気持ちになるものだと思います。そんな日が多く長く続くようにサポートしたいなと思います」

 この気持ちはちょっとわかる気がした。
 祖母と生前テレビ電話をしていた時、体調の辛さが和らいだときに出る笑顔や冗談が聞けると、なんだかとてもホッとしたし嬉しかった。

 「私が介護を経験する前に、テレビで認知症の母親の介護を長い間やっている方が言っていたんです。『介護は頑張り過ぎないこと。たまにはサボってます』と。このサボるは介護をサボるという意味ではなく、介護以外のことにも目を向けるなど気持ちを落ち着けることかなと感じました。そうすることで持久戦をうまく乗り切っているのかなと。いつか必要なタイミングでこの言葉を思い出せるよう、記憶の引き出しにしまっていました」

 Aさんが話してくれたことがAさんの介護のすべてではないし、介護の主担当として日々仕事と両立する大変さは変わらずに存在する。けれど、こうやって話を聞くことで、見えていなかった世界を少しでも知り、想像力の限界を自覚するきっかけになる。

 イメージとしての介護と、経験者の話を聞いて捉える介護は、自分の中に残る感触が違った。そう遠くない未来の私も、きっとAさんの話を記憶の引き出しから取り出すときがくるのだと思う。

いかに休むかではなく、いかに働くか

 介護について言わない・言えないということに話を戻そう。

 仕事は生きることに直結している。生活していくためには、仕事が必要だ。ただ、インタビューを通してもう一つハッとしたことがある。「働くこと」の捉え方だ。障害のあるお子さんを介護する社員(以下、Bさん)がこう言っていた。

 「仕事は好きなので、もっと仕事ができるようにするにはどうしたらいいのだろうといつも悩んでいます。介護し始めの頃、介護休業制度のことを深掘りしなかったのは『積極的に休みたいわけじゃない』という気持ちがあったからだと思います。その後あらためて制度利用を検討しましたが、結果的に休業はできなかったです。休めば介護に集中はできるけれど、仕事から離れるのもモヤモヤするし、収入も減るし……。やっぱり生活がありますからね」

 ビジネスケアラーに関する記事に、次のような一文があったことを思い出す。
 「いざというときに休みやすい職場である必要はあるでしょう。ただし、実際のビジネスケアラーたちが求めているのは、休みやすさではなく、とにかく仕事に穴を開けないで介護も成功させることなのです」 [3]

 ビジネスケアラーについて調べ始めたころ、私は「いかに休めるか」が重要だと思っていた。何年、何十年続くかもわからない介護だが、実は法定の休業期間は介護対象者一人につき93日しかない。この日数を増やし、休みを取りやすくすることが本人の幸せに繋がると考えていたので、この意見は目から鱗だった。

 BさんもAさんも、仕事が好きだと語っていた。他の社員も、「休んで、介護に集中したい」ではなく、「いかに仕事と介護を両立するか」「やりたい仕事を続けるか」という話をしていた。
 ただ、やりがいと同様に制度の拡充もまだまだ必要だ。定期的な通院付き添いにより、年5日の無給の介護休暇はもちろん、自身の有休も毎年使い果たしてしまう人がいることもわかった。休みを増やすことが本質的な課題の解決にはならないにしても、両立を叶えるハード面の整備は重要だ。

 Aさんは「いつも『ごめんなさい、ごめんなさい』という気持ちで介護をしているのは本当にしんどい」と、介護で休むことへの心労も打ち明けてくれた。
 Aさんのこの言葉を思い出すたび、どうしても涙が出てしまう。同じ職場の同僚が、こんな辛い気持ちを抱えながら働いていることを苦しく感じる。

 私たちは無感情で働き続けるロボットではない。感情がある人間なので、それが会社であろうと私生活であろうと、生きていくためには時には弱音を吐いたり励まし合ったりできる相手が必要だ。

 「介護について話せる同僚、私には必要です」

 子供を介護するBさんは、そのように言う。

 「チームのメンバーには詳細まで伝えておらずとも、状況は理解してもらっています。子供中心のスケジュールで生活していることなど、介護状態の大枠を知っていてもらえるだけで精神的にも大変救われています。中には詳細を話したり、愚痴を聞いてもらったり、労わってもらったり……社内にもよき理解者がいるからこそ、育休から復職してからも長く勤められていると思っています」

 私にはまだ介護経験がないため、変に気を遣いすぎた結果、せっかく話してくれた人に不安を与えかねないコミュニケーションを取ってしまった。言葉を選ばずに言えば、腫れ物に触るような感じになっていた。
 でも、そうこうしているうちに来年にもビジネスケアラーは300万人台に達し、遅かれ早かれ私もあなたも介護者になる。仕事のことを先輩に教わったり、育児の悩みを先輩ママパパに相談してみるように、介護の話ももっと経験者に聞きたいと強く感じた。

 介護は突然始まる。介護に不慣れななかで情報を探すのは、かなり大変だと聞く。介護中の社員も、必要な情報がバラバラなところにあり、能動的に情報を取りに行かなければならずストレスだと話していた。
 未経験者がもし明日から介護をすることになったら。どれほど混乱するか想像に難くない。

 そんな不安に対しAさんからアドバイスをもらった。

 「私も、はじめはどうやったらデイサービスを利用できるのか、後期高齢者医療制度ってどんな制度なのかと、わからないことが沢山あり調べまくりました。まずは早めに、介護が必要なご家族が通院している病院や役所に相談してみるのが良いと思います。その後、地域包括支援センターを紹介してもらうと、介護の専門職や関係機関に繋いでもらえます。記事を読んでくださった方が、介護の最初の一歩を踏み出すために、少しでもヒントになると良いなと思います」

 やっぱり介護の話はもっとしやすくなった方がいいなと感じた。検索してわかるノウハウももちろん助けになるのだけれど、経験者の話には背中を押してくれる力がある。

 介護をしていることの言えなさを解消することは、現在介護と仕事の両立に取り組む人の助けになることはもちろん、これから介護をする人にとっても大切、いや、もはや必須なのではないだろうか。

 ビジネスケアラーは社内ではまだまだマイノリティだ。はじめは当事者同士が繋がる小さな輪から始まってもいい。それがいずれ大きな輪になり、誰もが介護に当事者意識を持ち、腫れ物ではなく当たり前の営みとして、介護について話せるようになることを願う。

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