2022.12.20

産みどきはいつなのか? 年齢とキャリアのはざまで考える

 三五歳。この年齢にどんな印象を持つだろう。働き始めて十年ちょっと経ち、キャリアに脂が乗ってきたり、自分という人間がわかり始めたりする、そんな頃だろうか。

 三〇代に突入して、この先どうやって生きていくかライフプランニングめいたことを考えるようになった。二〇代の頃より生々しく。仕事に何を望むか、住宅は賃貸か購入か、生涯かかるお金はどれくらいか。独身だったわたしはその度に「そのうち結婚するかも」「子どもができたら状況も変わるしな」と、将来設計を棚上げせざるをえなかった。

 何歳になっても、学び直せる。転職できる。新しいことに挑戦できる。行動を年齢と結びつける時代は終わった。ただ一つ、「産む」を除いては——。

 結婚や子育て以外にも生き方は人の数だけあり、幸せの形は多様化している。それでも、体の仕組みばかりは変わらない。こと出産においては、三五歳以上の初産は「高齢出産」と呼ばれる。ついこないだまで二〇代だった女性が、産み手としては「高齢」と認定されるのはなかなか衝撃が大きい。個人差こそあるものの、三〇代以降、年を重ねるにつれ女性の妊孕性にんようせい(妊娠するための力)は下がっていく。男性の生殖能力も、女性よりは緩やかにだが、加齢とともに低下する。

 若いうちのほうが妊娠しやすい。けれど、二〇代だったときの自分に出産・育児という選択肢があったかというと、無かった。一ミリも。現実的ではなかった。でもなぜ、早くに子を持つことが「現実的でない」と感じていたのだろう。

 本稿では、働いていると極めて限定されているように感じる「産みどき」について取り上げたい。それによってどんな不具合が生じているのか。

 人生に子どもを望むか。望むならそれはいつか。女性のほうが身に迫るテーマかもしれないが、「育てる」は性別によらない営み。産まない人は「産む」を「育てる」に置き換えながら読み進めてみていただきたい。

二つの適齢期① 年齢と妊孕性

 「適齢期」という言葉がある。なんとなく嫌悪感を抱く言葉だ。もともとは、それをするのにふさわしい年齢というニュートラルな意味だが、口語的に使われるときはもっぱら「べき論」ともいえる社会的圧力が見え隠れしている。だが、他にいい言葉も見つからないのでこのまま適齢期と呼ぶことにする。

 子を持つことの適齢期は一体いつなのだろう。そう考えていて気づいたのは、いわゆる適齢期には二種類あるのではないかということだ。

 まずは「身体的適齢期」の話から始めよう。先ほども出てきた、年齢と妊孕性の関係だ。女性に関していえば、女性ホルモンの分泌が活発な時期は「性成熟期」と呼ばれる。これには前期と後期があり、十八歳から三七歳の前期が妊娠に適した時期と言われている。日本産婦人科医会のサイトには次のような記載がある。

女性の妊娠しやすさは、おおよそ三二歳位までは緩徐に下降するが、卵子数の減少と同じくして三七歳を過ぎると急激に下降していく。さらに卵子の質の低下(染色体数の異常)については、三五歳頃より数の異常な染色体の割合が上昇する。

 子どもが何人ほしいか、どれくらい強く願うか(絶対にほしいのか、できればほしいのか)によって妊活をスタートすべき年齢は変わるが、欧州の研究によれば、たとえば子どもを二人は絶対にほしい(90%の達成率を望む)なら、二七歳までに妊活を開始すべしとしている。

 二〇二二年四月からは、日本でも不妊治療の一部が保険適用になった。医療が発展したことで、今や四〇代の妊娠・出産も珍しくない。しかしそれは医療へのアクセスや身体状態に左右されるもので、誰もが「四〇代でも妊娠・出産できる」と言うには心もとない。

 妊娠しやすい時期は限られている。いくら生き方が多様化しようとも、生物学的事実は揺るがない。ならば、なぜわたしは二〇代で子どもを持つことを望まなかったのだろう(これ自体、もしかしたら首都圏でフルタイムで働く属性ならではの疑問かもしれないが)。

二つの適齢期② キャリア、お財布、晩婚化

 ここで考えたいのが二つ目の適齢期、「社会的適齢期」だ。そのような言葉はないのだが、労働者が「そろそろ子どもを望んでもいい頃」と思える時期を便宜上、社会的適齢期と呼びたい。子を持つと自由に過ごせる時間は減る。身体的適齢期のさなかにいても、キャリアや恋愛、経済状況などを考慮して「今じゃない」と感じている人は少なくないのではないか。

 「今じゃない」はどこからくるか。たとえば、就職や転職から数年間は職場に慣れるため仕事を優先したい。子どもがほしいのはやまやまだが、今の恋人が最良のパートナーかわからない。貯蓄がないので子どもを養うイメージがわかない。こんなところだろうか。職場によっては「妊娠順番ルール」という暗黙の掟があるようで、順番を破って妊娠すると非常識扱いされることがあるという(産休・育休は労働者の権利として認められているので、いじめや退職の勧告はマタハラ・パタハラに当たる)。

 リブセンスにおいてはそのような風習は聞いたことがないが、働き手が「今は〇〇さんが育休中だから、自分はもう少し後にしておこう」と自ら調整することはあるかもしれない。実際、数年前『就活会議』でマネージャーをしていた福澤さんは、三七歳のとき第二子を出産したが、タイミングは慎重に考えていたという。

「いま私が長期休みに入ったらチームが大変だよなと思って、私がいなくても回るまで妊娠は待つことにしました。でも結局、就活会議は譲渡されてしまったので、率直にいえば『それならもっと早く第二子を産めたのに』とは思いました。私のは極端な例ですが、産休・育休のタイミングをうかがっている人には『自分のタイミングでいいんだよ』と伝えたいです」

 出産・育児の「今じゃない」は晩婚化の影響もある。二〇二〇年の初婚年齢の平均は、男性が三一・〇歳、女性は二九・四歳。およそ五〇年前には、男性は二七歳、女性は二四歳が初婚年齢の平均値だった。

 それに伴い、第一子を授かる年齢も上がっている。二〇二一年、女性の第一子出生時の平均年齢は三〇・九歳で過去最高に。こちらも約五〇年前は、二五歳が女性が第一子を授かる年齢の平均値だった。もっとも、結婚や子どもを持つ年齢は地域によってバラつきがある。たとえば、東京は全国の中でも第一子を産む年齢が最も高く、平均より一・六歳高い三二・三歳となっている。

 いろいろな数字を並べてしまったが、個人的には結婚や出産・育児の年齢が上がっていることを不幸なこととは思わない。国家レベルで見れば、晩婚化・晩産化は少子化を加速させる危機かもしれないが、女性が二五歳を境に売れ残り扱いされたり、男性が結婚していないと昇進できなかったりする世界は息苦しい。社会の圧力からではなく、自分の意志で人生を決められるほうがいいではないか。

 だが、興味深い調査がある。日本経済新聞が、令和以降に社会人になった女性のうち出産希望者に「理想の第一子の産みどき」を聞いたところ、96・1%が「できるだけ早く産みたい」と回答し、平均は二七・七歳だった。「若いほうが子育てしやすい」「高齢になると妊娠・出産が身体的に厳しい」が理由の大半を占めた。しかし、入社後に理想とするタイミングが変わったかを聞くと、過半数は「遅くなった(52・4%)」と回答。理由には「経済的な不安」「仕事のやりがい」などが挙げられた。

 早く産めるものなら産みたい。けれど、社会に出てみたら現実は甘くなかったということか。新卒からしばらくは、貯蓄に回せるほどの賃金を得ることは難しい。それに子どもができれば、何年かは仕事にアクセルを踏み切れない状況が続くだろう。寿退社のような慣習がほぼ無くなり、女性も働き続けるケースが増えてきたからこそ、身体的適齢期とキャリアのバランスを考慮した「社会的適齢期」なるものが発生しているのではないか。

妊孕性と引き換えに得られる「キャリア貯金」

 身体的・社会的適齢期から乖離することで、どのような不具合が生じるのか。産休・育休取得時の年齢が比較的高かった人、低かった人にそれぞれ聞いてみた。

 まず、身体的適齢期を超えると不妊症リスクが高まる。三六歳のとき第一子を出産した永澤歩さんは、三〇代に入ってから不妊治療に三年を費やした。

「私は三〇歳のときに結婚して、結婚三年目から妊活を始めました。私たち夫婦は身体的に問題はありませんでしたが、子どもを希望するなら二〇代から始めたほうが良かったのだとそこで初めて実感しました。当時、不妊治療は保険適用外だったので、体外受精にステップアップしてからは通院のたびに数万円、数十万円と高額な出費がありました。仕事をしていたおかげで、仕事中は不妊治療のことを考えずに済んだし、経済的なプレッシャーは少し抑えられました。結果的に授かることができ今は幸せですが、なかなか授かれなかった期間はかなりつらかったです」

 しかし、三〇代後半で授かったことのメリットもあった。不妊治療というハードルはあったものの、子どもができるまでに経験したさまざまな仕事が、結果的に育児に集中できる要因になったという。

「子どもの乳児期は貴重なので、できるだけ一緒にいたいと思っていました。キャリアは職場に戻ってからでも築けるだろうと思って。それにリブセンスは副業ができる環境なので、育休中も自分のペースで働いていました。おかげで仕事の感覚を完全に忘れることはなく、安心して育休期間を過ごせていたように思います」

 四〇歳のとき子どもが生まれ、一年間の育休を取得した斉藤右弥さんも、それまでにキャリアの積み上げがあったことが大きいと話す。

「リブセンスは割と男性育休の取得率は高いですが、私自身は仕事から一年間離れるなんて経験したことがなかったので、思考力などの業務能力が低下してしまうのではないかという心配はありました。ただ同時に、二〇年近く社会人をやってきているので、なんとかなるだろうという自分への信頼のようなものもありました」

 その上で、四〇代で親になることの不利な点についてはこう話す。

「私はそこまで不利を感じていませんが、強いて言うとしたら人によっては体力的にしんどいかもしれません。それから、子どもができると住まいやお金に対する考え方が変わることがあります。住宅ローンなどを考えても、若いうちに子どもができたほうがライフプランを立てやすいですよね」

 キャリアの土台が固まった年齢だからこそ「キャリア貯金」がある。昇進していたり専門性が磨かれていたりするなら、人材としての希少性も高い。ゆえに入社まもない頃よりは安心して育休を取れるのかもしれない。ただ、トレードオフの関係にはなるが、会社からしてみれば「キャリア貯金」のある希少な人が、一時的にでも抜ける痛手は大きいことは書き添えておこう。

「社会人失格」というレッテル

 では「キャリア貯金」の少ない、社会的適齢期外のケースはどうか。

 Aさんが第一子を妊娠したのは、一五年ほど前。新卒で入社したゲーム会社の内定者時代だ。お腹に子どもがいる状態で入社式に参加し、入社から約半年後、二四歳のときに出産した。

「相談したほとんどの人たちは中絶を勧めてきて、私もそれが現実的だと思っていました。ですが、本当に後悔しないのかをパートナーとさんざん話し合い、結婚して産むことを決めました。周囲の多くは反対で、泣かれたり罵倒されたりもしました。職を失う覚悟で内定先の職場に電話したら『おめでとうございます。産休・育休が取得可能です』と返ってきたのには驚きました。ただ男性の多い職場だったこともあり、さらに新卒で妊婦なんて前例がないので肩身の狭い気持ちでした」

 新入社員であり、妊婦。同期の一部からは「仕事をなんだと思っているの」と言われ、疎遠になった人もいた。さらに困ったのは、業務時間外の活動に制限がかかることだった。新入社員は、飲み会や休日のアクティビティを通して職場内の親睦を深めていくことも多い。Aさんは妊娠でお酒が飲めず、自由に動きまわることもできないので、同期と差がついていくのを眺めているしかなかった。

 子どもは産んで終わりではなく、産んでからが始まりだ。Aさんはデザイナーとして採用されたが、育休からの復帰後は時短を希望していたため、職場からは事務職への職種転換を提案された。不本意だったが、職場への負い目もあり、断ることはできなかった。制度として産休・育休が取れることと、戦力化に向けて体制を整えてもらえることは全く別なのだと思い知ったという。

 望まない妊娠や継続の難しい妊娠をしたとき、人工妊娠中絶という選択肢がある。だが昔も今も、中絶は極めて語られづらいタブーだ。二〇二〇年、人工妊娠中絶数は14万5千件だった。一九五五年には約117万件あったので、その数は年々減り続けているが、年齢階級別にみた人工妊娠中絶実施率(女子人口千人あたり)は、二〇から二四歳が最多の12・2件だった。

 最近は日本でもようやくセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(SRHR|性と生殖に関する健康と権利)が語られるようになってきた。SRHRは、誰とどんな性生活を送るか、産むか・産まないか、いつ産むか、何人産むかなどを自分で決めることは基本的人権であるという考え方だ。

 産めないときに避妊や中絶などの手段にアクセスできることは大切な権利だ。ただ、スティグマの強く残る行為だからこそ、それを選ぶことのショックも大きい。中絶後遺症候群(中絶がきっかけとなるPTSD)を発症することもある。「今は産めない」とした一つひとつの事案のなかには、濃淡の差はあれ「本当なら産みたかった」「周囲のサポートがあれば産めたかもしれない」といった白と黒に分類しきれない感情があったかもしれない。

 産んだとしても、産まなかったとしても、特に若年層や未婚での妊娠は一大事。Aさんは自身の経験を通して、社会の〝お約束〟に疑問を持つようになった。

「産休・育休を取る権利があるのはキャリアを積んだ女性だけで、新卒一年目が出産をするのは、一般的に歓迎されない意思決定なのだと感じました。法的には一八歳で結婚できるし、医学的にも二〇代前半の出産は低リスク。それなのに、入社早々に妊娠すると『社会人として間違っている』というレッテルを貼られます。あれから十年以上経った今でも、『新卒採用』と『若くして子を持つこと』の相性は悪いまま。早くに産んだ人が抱く罪悪感や劣等感は、本当に妥当なのでしょうか」

 若手社員といっても、入社一年目なのか二年目なのかによっても状況は変わってくるだろう。たとえば、今若悠樹さんは入社三年目のとき第一子が生まれ、現在は一年間の育休中。男性育休は今や珍しくないとはいえ、周囲からは「大事な時期に一年も取って大丈夫か」と心配された。だが、自分にとって一番の幸せは「家族と一緒に過ごすこと」だと自覚していたため、決断に迷いはなかった。

「私には家族との時間を犠牲にしてまで会社の中で早く昇進して、収入を上げていきたいという欲はありませんでした。今は家族が大切だという価値観は絶対的なもので、理想の子どもの数もパートナーと話し合っていたので、育児に専念していることに後悔はありません。ただ、自分は優先順位を明確にしているほうだと思うので、キャリアを大切にしたい人には同じ決断はしづらいだろうと思います」

適齢期なんてない、そう思えるように

 いつが自分にとっての「適齢期」なのか。その問いに答えはない。育休一つをとっても、社会人一年目と十年目とでは見える景色がちがう。出産という身体的な負担が伴う女性と、大黒柱バイアスを背負った男性とでも、見え方は異なるだろう。

 産みどきに関する選択肢の一つとして、卵子凍結を選ぶ人も少しずつ増えてきた。欧米では、福利厚生の一環として卵子凍結補助を行っている企業もあり、日本でも近年、サイバーエージェント社やメルカリ社などが導入している。わたし自身も卵子凍結を検討した時期があったが、数十万円から百万円ほどかかり気軽に踏み出せる金額ではなかったので、企業が支援してくれるのはありがたいと思う。ただ、卵子凍結も〝保険〟として万能なわけではなく、身体への負担は大きいし、凍結したからといって将来の妊娠が確約されるわけではない。

 さらにドキッとした指摘があった。卵子凍結は「男性型キャリア」への迎合だとする声だ。ひねくれた見方かもしれないが、企業が卵子凍結を支援することは身体的適齢期よりキャリアを優先した人への補填とも捉えることができる。それと同じくらい、社会的適齢期より出産・育児を優先した人への支援が必要だというのももっともな意見だ。

 早く産むこと、遅く産むこと、まだ産まないこと、産もうとすること。変化に向かっていくことはこわい。親になるというのはおそらく人生最大の変化で、環境も価値観もあらゆるものが一気に変わっていくのはものすごくこわい。他方で、保留にしているうちに身体的なリミットがじわじわ迫ってくるのもまたこわいのだ。何を選んでも不安は消えない。会社の制度が充実していたり上司や同僚の理解があったりすれば、不安は多少軽減するかもしれないが、それが全てではない。卵子凍結もキャリア貯金だって、万能薬にはならない。

 それでも、最後に決めるのはやっぱり自分。「案ずるより産むが易し」などと言えば身もふたもないが、本来決められた適齢期などなく、自らの選択の延長線上で生きていくしかない。その選択が正しかったかどうかは、「いま」の積み重ねの先にいる未来の自分が決めることだ。

執筆 ニシブマリエ

白黒つけようとせず、複雑なものを複雑なままに。そんなスタンスを大切に、ジェンダーや社会的マイノリティを中心に取材・執筆している。リブセンスでは広報を経て、Q by Livesense 編集長に。最近、親になりました。

編集後記