2022.08.30

「安定期に入ってから報告」の風習に隠れる妊娠初期の苦悩

 同僚から妊娠の知らせを受けたとき、あなたは何を思うだろうか。おめでとう。よかったね。いなくなっちゃうの寂しい。育休はどれくらいとるのかな。チームの体制どうしよう。

 純粋な祝福と、現実的な体制変更への対応と、頭にはいろいろと浮かぶだろう。四ヶ月後には産休? もっと早く教えてほしかった。そう思う人もいるかもしれない。

 近しい間柄でない限り、産休の知らせを聞いて初めて同僚の妊娠を知ることも少なくない。リモートワークが浸透してからは一層、職場で同僚の大きくなったお腹を目にして、妊娠をそっと理解することもなくなった。

 一方、妊娠した当人も、妊娠をいつ誰に伝えるかには苦慮している。わからないことだらけの妊娠。多くの人はマタニティ誌や情報サイトから知識を積み重ねていくが、それらには妊娠を周囲に報告するのは安定期に入ってからが望ましいとされている。直属の上司など、仕事の采配に関わるメンバーにはもう少し早いタイミングで報告すべしとも。

 安定期というのは、妊娠五ヶ月。月経が遅れるなどして妊娠が判明する時期を妊娠二ヶ月と数えるので、安定期に入るまでには三ヶ月ほどある。ということは、三ヶ月間は妊娠のことを周囲に告げないまま、変化に対処しなければならないということだ。

 最近は、弱さを見せ合えることが強いチームの条件のように言われ、弱さをさらけ出すことが善とされるようになってきた。苦手なことや感情について分かち合う文化は徐々に醸成されつつも、妊娠時の暗黙の掟に関してはあまり変化はみられない。

 安定期に入ってから報告。この風習によって、妊娠初期の社員の苦悩が表面化することはほとんどない。今回は、見えないけれど確かに存在している妊娠初期という事象に焦点を当てたい。彼女たちは何に直面し、どう働いているのか。そして、安定期に入ってから報告するという習わしは、温存されるべきなのか。

幸福感より先にやってくる吐き気

 妊娠初期に何が起こるか、まずは基本的なところから挙げていこう。産婦人科で妊娠を確認できるのが妊娠五〜六週(二ヶ月)だが、妊娠が判明するや否やつわりが始まる。妊娠の実感や幸福感に浸る間もなくそれはやってくる。

 つわりの症状には、よく知られている「吐きづわり(食べると吐き気がする)」のほか、食べていないと気持ち悪くなる「食べづわり」に、強烈な眠気に襲われる「眠りづわり」、よだれが大量に出る「よだれづわり」などもある。つわりの程度は、何ともなかったという人から、ほとんど食事が取れない人まで個人差が大きい。妊娠初期は特に薬の服用には慎重にならざるをえないので、基本的には安静にして耐え忍ぶしかないが、重症化すると「妊娠悪阻おそ」という名称に変わり、入院が必要になるケースも。

 人類は妊娠・出産を繰り返しているというのに、つわりの原因は十分に解明されておらず、妊娠初期に急激に分泌されるhCGというホルモンが関連しているらしいという程度しかわかっていない。第一子のときは軽かったのに、第二子では症状が重くなるなどもよくある話だ。つわりは、実際に妊娠してみるまでわからないロシアン・ルーレットなのだ。

 さらに、妊娠初期は少しの衝撃でも出血しやすいので、トイレに行くたびに肝を冷やすことになる。正常妊娠とわかるまでは週一ペースで産婦人科に行かなければならないのも、労働者には負担が大きい。

 つわりが落ち着き、体調が安定することが多いのが妊娠十二〜十六週(四ヶ月)頃。つまり、平均的にいえば二ヶ月間くらいは薬で対処できない体調不良期間が続くということだ。この状態で働くとなると、生産性の低下は免れず、周囲のサポートは必要不可欠に思える。ではなぜ、妊娠発覚と同時に周囲に報告する習慣はなじまないのか。

 話を聞いていくと、世間のお約束という外的要因だけではなく、そうせざるを得ない妊婦自身のこころの機微も見えてきた。

報告をためらわせる流産リスク

「周囲に報告して、その後ダメでしたってなっちゃったら、周りがリアクションに困るだろうなって思ってたんですよね」

 そう話すのは、九年前にリブセンス史上二人目の産休を取得した福澤さん。つわりは軽めだったので、業務に支障をきたすことはほとんどなかったという。だからこそ、周囲に妊娠を告げるタイミングには悩んだ。

「もし流産になっても、私自身は大丈夫だと思ってました。でも、周囲の人は絶対に気を遣ってしまうと思うので。それがいやで、安定期に入る直前(四ヶ月の終わり)まで上司も含めて周りには言いませんでした。つわりがなかったのはラッキーでしたけど、妊娠のことを相談できる相手がいないのは心細かったです」

 妊娠がわかったとき、福澤さんは管理職になっていたこともあり、流産リスクに伴う周囲への配慮に加え、後任の採用期間も考慮しなければならなかった。

「周囲は妊娠に理解のある人たちばかりで嫌な思いをしたことはなかったですが、私が抜ける分の人員補充をしなければいけないのは残された人たち。新しく採用するなら、私が産休に入るまでに、募集・面接・入社・引き継ぎを行わないといけません。関係者の一人には、数年経ってから当時について『(言うのが)おせえよ〜』と冗談っぽく言われて。申し訳なく思いつつ、採用が決まった後に流産したらと思うと、今振り返っても言うタイミングは難しかったです」

 二児の母である永澤歩さんも、妊娠後しばらくは周囲に言いたくなかったと当時を振り返る。

「不妊治療をしていたこともあって、妊娠がわかってもしばらくは慎重に考えるようにしていました。ようやく授かった子がダメになったら、私自身もショックを受けるだろうし、周囲の人に同情されたり気を遣わせてしまうのも申し訳ない。急な休みなどで迷惑を掛けてしまうかもしれないごく限られた人には三ヶ月の時点で伝えましたが、その他の人には安定期に入ってから話しました」

 一方、もっとオープンに語りたかったという人もいる。Aさんは自身が経験した流産を振り返ってこう話す。

「流産って全妊娠の15%くらいの割合で起こるもので、決して珍しいことではないはずなんです。でも、みんなわざわざ話さないんですよね。気を遣わせるから。周囲の体験談も聞いたことがなかったので、自分が当事者になってすごくビックリしたし打ちのめされました。ただ、それを出産経験者に話すと、私も流産したよって話が次々に出てくるんです。経験者と話したことで、この世の終わりのような感情も一時的なものだろうって思えたので、流産について話せる第三者のありがたみを感じました」

 流産がわかると、自動的に妊娠前の状態に戻るわけではなく、子宮内容物の自然排出を待つか、内容物を取り出す手術を受けなければならない。Aさんは稽留けいりゅう流産(胎児は亡くなっているが、まだ子宮内にいる状態)がわかってから二週間後に手術を受けた。

「亡くなった赤ちゃんがお腹にいる状態で働くのは、心の置き所がわからなかったです。私の場合は、何事もなかったかのように日常に溶け込むほうが苦しくて。周囲を暗い雰囲気にしてしまうのは申し訳ないですが、私は事情を知っておいてもらいたいと思っていました」

妊婦の苦悩をかき消す〝おめでた〟の概念

 複数の人から話を聞いて、妊娠初期は「しんどさを表明できないしんどさ」があるように感じた。それは職場のみならず、会社から一歩外に出た社会や、家の中にも。

 例えば、妊娠経験者の多くが直面する「マタニティマークをつけるか」問題。マタニティマークは、お腹の目立たない妊娠初期にこそつわりに苦しむケースが多いため、配慮の対象として認知させたり、緊急時に妊婦であることを知らせたりするための重要な役割を担っている。しかし、妊娠中にマタニティマークを身につけていた妊婦は約六割にとどまる

 背景にあるのは、マタニティマークに向けられる眼差しだ。SNSをはじめとするネットには妊婦を萎縮させる強い言葉が並び、暴力や嫌がらせの標的になることを恐れて、マタニティマークをつけることに躊躇いを覚える人が少なくない。

 エコンテ社の調査によると、実際に、十人に一人がマタニティマークを身につけていて不快な思いや身の危険を感じたことがあると回答している。

 同調査で、マタニティマークに気づいたときに「サポートしてあげたい」と思う人は67・6%、「何も感じない」人は29・6%、「不快に感じる」人は2・8%だった。不快に感じる人はごく一部だが、その理由を見ると「妊娠して幸せなの!とアピールしているように感じる」「配慮を強要されている気になってしまう」などが挙げられていた。

 妊娠している人たちには「ごく少数の意見は気にせず、堂々と優先席でも何でもお座りください」と伝えたいが、これらの反感が一体どこからくるのかも気になる。内部障害や病気の人たちがつけるヘルプマークにも同様の感情を抱くのだろうか。

 まずは、単純に知識不足なケース。妊娠に伴う不調やリスクを知らないために、なぜ配慮が必要なのか納得できていないのだろう。

 最近はリモートワークが浸透し、通勤の必要がない妊婦も増えているかもしれない。ただ、リモートワークができない妊婦にとっては、通勤は戦いだ。不破昌代さんは十七年前の妊娠生活を思い出しながらこう話す。

「当時はマタニティマークの認知度が今以上に低かったこともあり、席を譲ってもらえることはほとんどありませんでした。通勤には片道一時間四〇分かかっていて、急にお腹が張って満員電車や駅のホームで床に座り込んでしまうこともありました」

 さらに、妊娠を〝おめでた〟と呼ぶ文化が、妊婦を取り巻く環境を厄介にさせているようにも思う。日本社会における妊娠は、疑いの余地なく〝よいもの〟で、妊娠している人は幸せに包まれているはずだという固定観念はないだろうか。そのイメージが、妊婦は社会的弱者だという事実を覆い隠しているかもしれない。妊娠中は免疫力が下がるため体調を崩しやすく、吐き気、息苦しさ、めまいなどの症状に頻繁に見舞われる。それでも祝福される対象としてのイメージが先行し、必要な「配慮」が「優遇」と捉えられてしまう。

 「妊娠は病気ではない」という表現もよく見聞きする。日本の医療において、妊娠に関わる医療費が保険適用にならないことはこの解釈がもとになっている。しかしそこから転じて、「妊娠は病気ではない(から、甘えるな)」とたしなめようとする人もいる。過去に出産を経験した上の世代の人から言われたことがあるという話は聞くが、仮に職場の上司にそう言われたとしたら。

 日本では、事業主にマタニティ・ハラスメント防止対策が義務付けられており、労働基準法により妊婦は時間外労働や休日労働の免除を請求することができたり、軽易な業務への転換を請求できたりする。必要な配慮を求めたときに、妊娠は病気じゃないからと制度の利用を阻害されるようなことがあれば、それは違法であることを周囲も妊婦自身も知っておきたい。

しんどさが理解されているだけで

 さて、話をもとに戻そう。結局のところ、周囲にはいつ妊娠を報告するのがベターなのだろうか。わたしはもともと早く報告したほうが妊婦自身の助けになるのではと考えていたが、正直わからなくなった。

 流産リスクを考慮して、初期流産の可能性が下がるタイミングまで待ちたいという本人の希望は尊重されるべきだ。一方、流産をしたとしてもその状況を分かち合いたい人は、しきたりに拘らずそうすべきとも思う。不測の事態のとき、どのように対処するのが助けになるか、コーピング(ストレスに対処するための行動)には人それぞれの方法がある。

 ただ、わたしたちは妊娠・出産に関して、知らないことが多すぎるのではないか。自分やパートナーが妊活を始めたり妊娠したりして初めて知る事実のなんと多いことか。当事者だけでなく、社会全体にもっと性や生殖の知識があれば、自分自身の人生設計にも役立つだろうし、他者の事情も受け入れやすくなる。

 妊娠経験者に話を聞いていて「チーム内に妊娠・出産・育児の経験者がいると、困った時に相談しやすい」という声があった。仮に、流産について語ることがタブーでなかったら、流産リスクがあるからと報告をためらい、妊娠初期の困難を一人で耐える人は減るかもしれない。

 同僚は、妊娠症状に悩む同僚に何もしてあげられないかもしれない。けれど、知ることはやさしい世界への第一歩。しんどさが理解されているという実感は、未知のトンネルに足を踏み入れた妊婦にとって、何よりのお守りになるだろう。

執筆 ニシブマリエ

白黒つけようとせず、複雑なものを複雑なままに。そんなスタンスを大切に、ジェンダーや社会的マイノリティを中心に取材・執筆している。リブセンスでは広報を経て、Q by Livesense 編集長に。最近、親になりました。

編集後記