2022.03.31

親身になって疲弊するマネージャーたち。感情労働としてのマネジメントを考える

 「最近、人の悩みを聞くのが辛いんですよね」

 そう打ち明けてくれたAさんは、多数の部下を抱えるマネージャーだ。柔らかな物腰で人当たりがよく、温和な雰囲気をまとっている。
 部下からの信頼も厚く、悩みもよく相談されるらしい。丁寧に聞き入っているのだろう。ヒアリングの話しぶりからも、そういうふうに想像される。
 そんなAさんだが、部下の悩みを聞くことに疲労感を覚えてしまうという。

「たまにカウンセラーみたいなことやってるな、と思うんですよね。悩みを聞いても、解決できることばかりじゃないし。なのに色んな人の悩みを聞いて、自分のなかで蓄積されちゃって」

 人の悩みを聞くと、自分の心に負担がかかる。なんとなく引き摺られて、気持ちが沈んでしまう。そういうことは確かにある。多くの人から悩みを相談されれば、負担の量も増えていく。
 相談事はさまざまだ。一朝一夕で解決できないことも多いし、聞くに徹するしかないときもある。つぎつぎと解決できれば、まだ気は楽になるかもしれない。しかしそうではないから、悩み事は積み重なっていく。積み重なったぶんだけ、気が重くなる。

 あくまで相手の抱えている問題だ、と線を引くことは難しいのだろうか。Aさんに聞いてみた。

「そういう悩みを生んでしまった自分にも責任があるので。自分にも問題があったんじゃないかなと思って」

 部下からの相談を受けるマネージャーならではの受け止め方だ。「自責思考」が強ければ強いほど、部下の悩みを自分の責任だと捉えてしまう。チームのさまざまな問題を、自分の落ち度として受け止める。
 人の悩みを聞くのが辛い、とAさんは言う。かといって、一切悩み相談を受け付けません、というのも難しい。どうすればいいのだろうか。

感情労働としてのマネジメント

 一つの足がかりとして、マネジメントは感情労働であるという前提を置いてみたい。感情労働とはその名の通り、自身の感情のコントロールを役務の一つとする労働を指す。
 まず感情労働ではない仕事から考えてみよう。このQ by Livesenseの原稿執筆の仕事は、筆者の感情とは切り離されて提供される。執筆過程では多少の感情の上下はあるかもしれないが、できあがった文章をみなさんが読むときには、筆者が当時どういう感情を抱いていたかは関係がない。
 これを書いてるいま、ぼくが元気発剌だろうと、意気消沈していようと、文章にはほとんど現れないし、ぼくの感情と文章の価値は連動しない。

 接客業や販売業では事情が異なる。わたしたちが飲食店や小売店で接客を受けるとき、店員は朗らかに笑顔で接客するのが当たり前になっている。もちろんそれは店員の気分がよいからではない。気分よく振る舞うことが、仕事の一部だからだ。感情労働とはこういったものである。
 なぜ自分の感情のコントロールをするかといえば、相手の感情に作用するためだ。不機嫌な人を見れば誰でもいい気分がしないし、笑顔で接してくる人には好感を抱く。感情労働においては、自己や他者の感情のコントロールが、役務の重要な一部を担っている。
 接客や販売以外にも、こういう仕事は数多くある。教師、看護師、介護士、客室乗務員、サポートセンター。共通するのは、人を相手にする仕事だということだ。機械や原稿を相手にした仕事では、感情のコントロールは必要ない。人を相手にする仕事では、感情は重要な役割を担っている。

 マネジメントにも共通する部分がある。今日のマネジメントは、人を相手にする仕事の最たるものだ。
 インターネットを少し見回しただけでも「マネージャーにしちゃいけない人第一位は、すぐ機嫌が悪くなる人」「マネージャーなら、部下が自らやる気を持てるように感情をマネジメントするべき」「自分自身の機嫌のコントロールできないマネージャーは、今すぐにその役職を解いた方が良い」といったフレーズが次々に見つかる。
 マネージャーもまた、感情のコントロールを余儀なくされる仕事の一つだ。

 感情労働には「過程の同時性」「結果の不確定性」「人格の不可分性」という三つの特徴がある。
 過程の同時性とは、仕事の過程が同時に結果となることを指す。先に挙げたように、原稿執筆のような仕事をはじめ、デザインでも会計でも設計でも、そのような同時性は発生しない。仕事しているときの気分や感情と、できあがった成果物は切り離されている。
 感情労働はそうではない。仕事の過程は、そのまま仕事の結果となる。マネージャーが部下のミスに落胆して、過剰にきつい言葉を浴びせてしまえば、それがそのままマネジメントという仕事の結果となる。ゆっくりと推敲している時間はない。
 発話ひとつが、そのまま結果に直結する。こういう同時性は、常に緊張を強い、ストレスを与える。

 二つめは結果の不確定性だ。記事のページビューや製品の品質とちがって、人の感情は測定できないのはもちろんのこと、外からは観測できない。ゆえに感情労働においては、相手の感情を推しはかる必要がある。
 このやりとりでよかったのだろうか。あの発言はどう受け止められたのだろうか。今日の彼は機嫌が悪そうだけれど、昨日の自分の振る舞いが悪かったのだろうか。マネージャーはそういう疑心暗鬼と戦うことになる。
 どれだけ推量しても相手の感情はわからないから、予想外のこともしばしば起きる。良かれと思って伝えたことで相手に傷を負わせたり、逆に傷つけたかと不安でいっぱいになっていると、向こうはあっけらかんとしていたりもする。

 三つめは人格の不可分性である。感情労働では、感情を仕事に持ち出すという特性上、仕事と人格とを切り離すことが難しい。人格がそのまま仕事に直結しており、正なり負なりのフィードバックも、即座に人格に突き刺さる。
 そのダメージを防ぐため、接客やコールセンターでは、クレーマーの対応策として「心を無にして……」というフレーズが用いられる。しかしマネージャーはさすがにそういうわけにはいかない。心を無にして接しては、チームは立ち行かなくなるだろう。

 感情労働ではない仕事との比較で、一つのケースを考えてみたい。
 もし「あなたには画家の才能がない」と言われたら、どう感じるだろうか。作画関係の仕事に就いていないならば、多くの人はその言葉のまま、ただ画家の才能がないものだと受け止めるだろう。いい気持ちはしないかもしれないが、まあそうだろうな、と思うだけだ。
 しかし職種を変えて、「マネージャーの才能がない」「接客業に向いてない」と言われればどうだろうか。それは画家について言われたときとはやはりちがって聞こえ、どこか人としての資質を咎められているような印象を受けないだろうか。マネージャーに人格が重要だと言われるのも、仕事と人格との不可分性をよく表している。

 以上の三点が感情労働としての特性であり、それはそのままマネジメントという仕事に特有の難しさでもある。ここまでを確認した上で、もう一度Aさんの話に戻りたい。

気づけばエモーショナル・スポンジに

 感情労働には特有の難しさがあることがわかった。しかし感情労働に従事する人の全員が、その特性に苦しんでいるわけでもない。どのような人が、よりつらく感じてしまいやすいのだろうか。

 冒頭でAさんは「人の悩みを聞くのが辛い」「そういう悩みを生んでしまった自分にも責任がある」と述べていた。Aさんは他人の悩みを自分の問題として引き受け、それゆえに自分の問題が肥大化していく、という状況に置かれている。
 Aさんのように、他者のネガティブな感情を自分に引き取ってしまう状況は「エモーショナル・スポンジ」と呼ばれる。
 すかすかのスポンジが水をよく吸収するように、エモーショナル・スポンジとなった人は、周囲の感情を自身に取り込んでしまう。他者の緊張、心配、不満、かなしみ、怒りといった感情を自分のものとして取り込んでしまう。結果的に周囲の感情に自身が振り回されて、ストレスを抱えてしまいやすい。自分自身の感情のケアが後回しになる。
 感情労働とは、ただ自身の感情をコントロールすればいいという仕事ではない。人を相手にするがゆえに、周囲の感情を浴び続ける仕事でもある。その折り合いをつけなければいけないのが、感情労働に特異の苦労なのである。

 エモーショナル・スポンジ状態を脱するためには、いくつかの手立てがある。ここでは二つを紹介したい。
 一つは他者と自己との境界線を、あらためて意識することだ。エモーショナル・スポンジに陥る人は、強力な共感性にともなって、感情の所有者が曖昧になる。共感力が高いがゆえに、共感のダークサイドに落ちてしまう。感情が無防備に共有されることには、やはり注意を払わねばならない。
 他者と自己のあいだには、はっきりとした境界がある。わたしとあなたは別の人間であって、別の困難を抱え、別の感情を抱いている。
 強烈な共感の渦中にいると、そういうシンプルな事実を忘れそうになる。ネガティブな感情は、相談者も聞き手も境なく、あたりを一つに包み込む。それに飲み込まれると、エモーショナル・スポンジと化してしまう。
 つらい相談を受けたとしても、まずそこにあるのは相談者に固有のかなしみである。聞き手が感じるかなしみは、二次的な共感の産物であって、相手から受け取ったものである。自らの心を安全に保つためには、そういう確認が求められる。

 手立ての二つめは、手助けに焦点をあてることだ。
 これを考えるにあたって、英語の sympathy と compassion というふたつの語を参照したい。どちらも「共感」や「同情」と和訳される単語だが、英語におけるニュアンスは微妙にちがっている。手元の辞書には、以下のような比較訳が載っている。

sympathy – 他人の不幸を心から理解し、進んでそれを共有しようとする感情

compassion – 他人の苦しみに対する同情で、援助したいという衝動を伴うもの

『英語類義語使い分け辞典』研究社

 表記を簡便にするため、いったん sympathyに「同情」、compassionに「思いやり」という訳を当ててみたい。
 他人の負の状況や感情に共感するところまでは、両者ともに一致しているが、その先がちがっている。ただ同情を示すだけでは、共感する側もつらさに染まり、抜け出せなくなってしまう。思いやりは手助けしたいという意志を伴うものだ。

 ただし思いやりを持つということは、すべての問題の解決を試みる、ということではない。もちろん相談された内容が解決できれば、それに越したことはない。相談者は解決してもらって嬉しいし、聞いた側も貢献できて嬉しく思える。それができればそれでいい。
 しかし現実には、そういうことは多くない。Aさんも述べていたとおり、相談される問題のうち解決できるものはほんの一握りだ。

 解決できない問題の相談を受けたとき、手助けできることはまったくないのだろうか。
 視点を変えてみよう。相談を受けること自体が、既に手助けなのだと。
 多くの人が実感しているように、悩みを聞いてもらうことは、それだけで一定の癒しをもたらす。相談者の側からしても、解決まではあてにしていなかった、聞いてくれて十分助かった、というケースは多いだろう。
 解決されない悩みが積み重なる徒労感にかわって、相談を受けたという手助けにフォーカスすることで、いくぶんかの満足感を手にすることができる。

広がり続けるマネージャーの仕事

 マネージャーはそもそも、どこまで部下の悩みに耳を傾けるべきだろうか。部下との1on1で途方もない悩みを打ち明けられたときに「ちょっとここでは建設的な話だけにしよう」とか「目の前の仕事に集中しよう」とか、そういうふうに伝えてもいいのだろうか。
 そう言いたくもなる一方で、こんな調査報告がある。

グーグルのマネージャーを対象とした調査によると、効果的なマネージャーは仕事の面だけでなく個人的な面においても、自分のチームを気にかけていることが明らかになっています Google re:Work

 グーグルが発表した、マネジメントに関する調査の一節だ。近年のマネジメントのトレンドを表している。
 仕事面のパフォーマンスや進捗だけでなく、メンバーの個人的な充足感、満足感、安心感にもマネージャーは配慮する。最近の風潮を見る限り、現代のマネージャーはそこまでが仕事だということになっている。
 二〇〇〇年代に登場した「サーバント・リーダーシップ」という考え方も、同じ路線を採用している。サーバントとは、召使いとか使用人という意味である。マネージャーはメンバーの召使いというわけだ。

 ひと昔前なら、部下から個人的な悩みを相談されても、個人の事情を持ち込むなとか、愚痴るなら酒の席でやってくれとか、そういうことが言えたかもしれない。しかし今はそういう時代ではない。
 重要視されているのは、メンバーひとりひとりの人間的な充足である。人が最大の経営資源となり、人材競争が激化する今日において、マネジメントの役割は日増しに大きくなっている。
 最近はオンとオフを明確にスイッチせず、その人がその人らしくいられる働き方が進んでいる。「仕事は仕事」と割り切るのではなく、つねに自分らしく働く。コロナ禍における在宅勤務もまた、その流れを促進した。仕事用の仮面をつけて働く時代は終わりつつある。それ自体は歓迎すべき流れかもしれない。

 しかし、副作用を忘れてはならない。
 当座の仕事だけでなく、個人的な面においても部下を気にかける。そういうマネージャーは確かに理想的かもしれないが、現実には苦労が伴う。
 部下の相談を聞く苦労について、Aさんはこう言っていた。

「自分の成果につながるのかな、と悩むこともあります。自分がプレイヤーでいたら、もうちょっと自分の感情も安定して、仕事に集中できたんじゃないかって」

 部下の悩みを自分で引き受けてしまって、自身の仕事にも影響が出る。同じ思いをしているマネージャーも少なくないだろう。部下に親身になればなるほど、共感すればするほど、この問題はふくれあがる。
 マネージャーに共感とケアを求める声は、今後ますます響き渡るだろう。その行き着く先がどういう場所なのか、まだ誰にもわからない。

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編集後記