2021.06.29

休暇制度をつくるときの葛藤と保存有給という魔法

 会社生活と私生活は表裏一体になっている。
 人によっては、週五日・八時間を休みなく働き続けることが、私生活を圧迫してしまうこともある。そこで、仕事によって生活の質が不当に損なわれることのないよう、会社は休暇を用意する。さいきん話題のワクチン休暇もそのひとつだ。

 ワクチン休暇のように全員に付与する休暇もあれば、一部の人のために用意する休暇もある。そうした休暇は、もともとあった不均衡を、おおむね平等になるようリバランスする役割をもっている。
 リブセンスでいえば、有給生理休暇がその一例にあたる。生理にまつわる心身の不調はある人とない人がいるから、その差異を会社が緩衝する。

 是正すべき不均衡は、しかし、人の暮らしの数だけ存在する。兄弟で分担している親の介護、犯罪被害にあったことで出席しなければいけない裁判、PTAや町内会による真昼の集まり、慢性的な気分の浮き沈み。すべてに特別な休みを用意するのは、どうも現実的ではない。

 休暇に限らず、新しい福利厚生をつくるとき、人事はかならず「公平性」を心配する。不均衡を是正することで、べつの不平等が生じないか。適切なバランスを実現できているか。一部の事情だけ優遇されていないか。いかなる福利厚生においても、そうした観点が欠かせない。

 しかしこの「公平性」は厄介なもので、考えれば考えるほど、限られた人たちのための制度はつくりづらくなる。
 Aという課題に対して特別休暇をつくれば、Bはどうか、Cはどうかと連鎖的に懸念が浮かぶ。ある休暇を他の休暇に比して、会社として優先する論理があるかと問われると、答えに窮する。

 不均衡を是正しながら、公平性も保ちたい。
 そんな葛藤を飲み込んでくれる魔術的な一手がある。「保存有給」という。今日はこの保存有給という魔法のような制度と、その正体について考えてみたい。

不妊治療と性別適合手術のための保存有給

 リブセンスは二〇一九年に、不妊治療と性別適合手術をサポートするための保存有給を施行した。当時ぼくも携わって立案した。こういう制度だ。

リブセンスには、年次有給休暇のほかに「保存年次有給休暇」という制度があります。これは、二年間の時効を過ぎて消滅した年次有給休暇を積み立てておき、特定の事由が生じた場合に利用できる制度です。
これまでは、病気や怪我などの治療や看護によって出勤が困難な場合のみが対象でしたが、不妊治療のための通院・手術や、性別適合手術により勤務が困難な場合にも、年次有給休暇が残っていても「保存年次有給休暇」を申請できるようになりました。 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000092.000015443.html

 聞き慣れない人も多いと思うので簡単に説明しておくと、保存有給とは時効を過ぎて一度失効した年次有給休暇を、会社が指定した一定要件のもとに蘇らせる制度だ。
 法定外の休暇制度だが多くの会社で導入が進んでおり、「積立有給」や「ストック休暇」などと呼ばれることもある。本記事では一貫して「保存有給」と呼ぶ。

 もともとリブセンスでは二〇一六年にはじめて保存有給の制度がつくられた。そのときは自分か親族の病気・怪我・看護だけが対象だった(右の引用の「これまでは」の部分がそれにあたる)。そのあと二〇一九年にジェンダー平等やディーセント・ワークを擁護する一環として、この拡張に至っている。

 この制度変更は、一見すばらしい改善に見えるかもしれない。もちろん何もない状態に比べれば、改善であることは間違いない。しかし本当にこれでよかったのか。保存有給は十分な効果を発揮するのか。

保存有給制度のカラクリ

 保存有給制度は大きな広がりを見せている。その用途は病気療養、看護、介護、自己啓発などさまざまだ。
 先日、本ブログで書いたワクチン休暇においても、ヤフー社が家族の付き添いに保存有給を適用している [1] 。厚労省も不妊治療のサポート [2] や多様性の推進 [3] を図る資料のなかで保存有給の有用性を説いている。

 こんなにも広がる理由は、制度をつくる側になってみるとよくわかる。保存有給はとにかく使いやすいのである。
 既に述べたように、人事は不均衡や格差の是正を行いつつ、それが新たな不平等を生まないよう、細心の注意を払っている。保存有給のもとになる年次有給休暇は(勤続年数による差はあれど)全従業員に平等に与えられたものだ。その失効分を活用しているだけだから、決して特定の人にだけ有給休暇が増えるわけではない。

 年次有給を使い果たすか余らせるかは従業員に委ねられているのだから、もし保存有給制度に該当しない人が、自分も同じぶん休みたいと思うのであれば、単に年次有給を使い果たせばいい。
かくして一部の人のための特別休暇と、全ての人のための公平性が両立するのである。

 果たして本当にそんなうまい話があるだろうか。

 あたりまえのことだけれど、保存有給を使うには年次有給が使われずに失効されていなければならない。保存有給のおかしな点はそこにある。
 この制度は暗に「年次有給を使い果たさないこと」を前提にしている。ふだんから年次有給を使いきる社員にとっては、この制度は存在しないのと同じだ。当然の権利を行使しているだけで、用意されていたはずのサポートが幻のように消えてしまう。保存有給という魔法の裏にはこうしたカラクリがある。

 実際にこの制度は機能しているのか。

リブセンスの赤裸々な利用実態

 保存有給の実情を探るべく、リブセンスで労務を統括する伊藤愛美さんに話を聞いた。

「実際に使えるケースは限定的ですね。"年次有給の残存日数がない場合に限り"という条件があるので、これに引っかかり利用できる人が少ないのが現状です。ここ二年で利用した人は一人だけでした」

 保存有給制度をつくるときに論点となるのが、法定の年次有給との優先順位だ。リブセンスでは少しややこしく、年次有給が残っていても使えるケースと、年次有給が残っていると使えないケースが混在している。こうした複雑さも制度利用を妨げる一因かもしれない(直さないとね)。制度自体についてはどう考えているか。

「サポートがあることはいいことですが、給与が発生する休暇をどこまで付与するのかは悩みどころです。やりすぎるとバランスが悪くなるため、無給の特別休暇でカバーしていくことも必要だと思います」

 これも重要な指摘だ。一度つくっては取り消せないのが休暇というもの。どこに有給と無給の線引きをするかは慎重に検討されなければならない。
 多様性を擁護する社会において、配慮すべき個人的事情は無数にある。公平性を置き去りにして恣意的に有給を乱発すれば、長い年月にわたって禍根を残すだろう。

 現状の利用実績を踏まえれば保存有給はサポートというにはあまりに不十分で、「使えればラッキー」という程度のものと考えるべきなのだろう。それとは別に必ず使える休暇を用意しておくことが真っ先にあるべき配慮なのかもしれない。

 ところで、そもそも年次有給はどれくらい失効しているのだろうか。伊藤さん自身、有給は「余らせている」という。

「特にこれといった理由もないんですけれど、溜め込む根性なんですよね。何か理由がないと取らないので、結果的に余らせちゃってますね」

 こういうメンタリティの人はどうやら珍しくないようだ。日本には有給傷病休暇(Paid Sick Leave)が少ないため、年次有給を「万が一のときのために取っておくもの」と考える人が多い。もともと大病のために設計された保存有給は、まさにそんな思考の延長にあったものなのかもしれない。しかし今日の活用の広がりは、その範疇を超えつつある。

有給取得の推進と保存有給のコンフリクト

 保存有給の指定用途はこれまで傷病や看護が多かったが、これから数年のあいだにはダイバーシティ&インクルージョンの掛け声とともに、さまざまな活用が爆発的に増えていくだろう。
 不妊治療や性別適合手術といった例のみならず、犯罪被害者のための休暇や、ボランティア休暇にも保存有給は使うことができる。

 ちょっと意地悪にいえば、保存有給は「都合のいい緩衝材」となるだろう。
 企業は著しい不公平を起こさずに「特別なお休みを用意しました」という体裁を保つことができる。しかしそこで用意されている休暇は、もともと従業員が自由に使えるよう与えられていたものの亡骸だ。

 むろんその背後には、有給取得率の低さがある。日本の有給取得は五〇%に留まっており、諸外国と比して低い。リブセンスも六〇%に留まっている。残る四、五〇%は失効しているわけだから、保存有給が生きてくる。その有効性を否定するつもりはない。しかし有給消化率の低迷、半数の休暇の失効は誰の意図したことだったろうか。

 政府は働き方改革関連法を公布・施行し、年五日の有給消化を義務化した。有給取得率の向上は、いまや国をあげての方針である。
 これから人材の流動化と獲得競争の激化が進めば、休暇を取りづらい会社は自然と減っていくだろう。有給取得率はあがって、失効する有給は減っていくだろう。そもそも定められた日数の年次有給は労働者に等しく与えられた休む権利である。

 わたしたちは自覚せねばならない。政府の号令のもと、企業は有給の取得を推進しているが、失効する有給がなくなれば、保存有給制度はまったくの意味をなさないハリボテと化す。
だったら一枚目の舌で有給取得率の向上を謳い、二枚目の舌で保存有給の活用を謳うことはできないはずだ。両者はトレードオフである。

 時代の要請に、社員の要望に応えるべく、わたしたちは制度をつくる。一挙にすべての声に応えることはできない。理想を追い求める路中、ときに矛盾も抱えてしまう。
 すべてを実現できない悔しさを噛み締めながら、よりよい会社を目指し続けたい。

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