2021.02.03

差別と向き合い始めたわたしたち。ジェンダー問題を学んだ社員の率直な声

 〝常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう〟

 あなたはこの一文を読んで何を感じるだろうか。
 私は、はじめて読んだときに強い衝撃を受けた。

 これは、昨年の春、リブセンスがジェンダーバイアスについて考える研修「常識を考え直すワークショップ」の実施をプレスリリースする際、リリース本文中に引用した、物理学者アルベルト・アインシュタインの言葉だ。

 彼はこの一言で、私たち一人ひとりが常識だと考えていることも、実は偏見である可能性があると示唆した。それまで私は、常識は善、偏見は悪。その二つは対極にあり、相容れないまったくの別ものだと捉えていた。常識を持っていることは、人として正しく、誇れることであり、偏見を持っていることは、人として間違っていて、恥ずべきことだと、そう感じていた。そのため、この一文を読んだとき「私が長年常識だと思っていたものはなんだったのか」「偏見を自覚しない状態で、一体これまでにどのような〝常識的な行い〟をしてきただろうか」と何とも言い難い気持ちになり、価値観も大きく揺らぐようだった。

 「常識を考え直すワークショップ」は、前回の記事にあるとおり、経営指針の一つ「差別、ハラスメントの根絶と平等の実現」を目的として実施されている。言ってしまえばコンプライアンス研修なのだが、よくある座学形式のそれとはまったく異なる。研修の企画は弊社とNPO法人soar、株式会社ミミクリデザイン3社の共同設計、研修当日のファシリテートはミミクリデザインが行う。社内外から参加希望者約30名が集まり、4名ひとグループになって対話中心のワークに取り組む形式だ。また、研修中は「相手の意見を否定しない」という大切なルールがあり、参加者の心理的な安全が守られ、差別や偏見、バイアス、ハラスメントといった複雑で繊細なテーマについても話し合いやすい場がつくられている。

 今回は、冬に実施した第二回「常識を考え直すワークショップ」に参加した社員の声を参考に、この研修の意義について考えてみたいと思う。

私達の常識を構成するもの

 私たちリブセンスが、研修という手段を通じて目指している「差別、ハラスメントの根絶と平等の実現」。おそらく多くの人が「確かに、差別もハラスメントも良くないことだ。なくしたほうが良いものだ」と考えるだろう。しかし同時に心のどこかで『差別やハラスメントは一部の〝非常識〟な人が起こす困ったこと』と捉えている節はないだろうか? 自分からは距離のある特別なことのように感じてはいないだろうか?
 
 偏見は、私たちが生きる中で、意識する・しないに関わらず身につけてきた「ものの見方」とも言える。そう考えると偏見に起因する差別やハラスメントは、一部の〝非常識〟な人が起こす困ったことではなく、この社会に生きる誰しもが、加害者にも被害者にもなりえる自分ごとだ。

 差別やハラスメントについて考える上で大切なことは、まず「私もみんなも、何かしらの偏見、バイアスを持って生きている」のだという前提に立つことだ。そして、常識、普通、あたりまえだと思っていることが、唯一絶対の正解とは限らないこと。数ある偏見のなかのひとつなのだと捉えてみることだ。世の中の常識が天動説から地動説に移り変わったように、いま疑いもしない常識が、もしかしたら非常識である可能性は十分にありえる。

研修に参加しようと考えた理由

 私は「常識を考え直すワークショップ」のすべての回に参加してきた。理由のひとつは、広報として会社の動きを理解するための使命感。もう一つは、好奇心と期待だ。そのころ「『あたりまえでしょ』とか『それが普通』って言い方を、したり・されたりしがちだけど、あたりまえや普通の基準って人によってまちまちだな」と考えることがよくあった。ワークショップに参加することで、その釈然としない状態がすっきりと解消するかもしれないと考えたのだ。

 他の参加者はどうなのだろうか。研修に対してどのような印象を持っていたのか、なぜ研修に参加してみようと思ったのか、二回目の研修から参加した社員に話を聞いてみた。

 一回目のときは開催告知に気がついていなくて……。でも今回は気付けたので応募してみました。
 「常識を考え直す」ってネーミングが良いですね。求人メディアを運営する事業部に所属しているので、普段から割とジェンダーに関する話をする機会はあるんです。なので、この研修で学んだら、もっといろんなものの見方ができるようになるかな、視点が増えるかなと期待して参加しました。
 一方で「ジェンダーバイアス研修」とか直接的なタイトルだったら、もしかしたら限定的なテーマだな、と思って参加していなかったかもしれないです。(三〇代・男性)

 前回は、業務時間中に時間を確保することがちょっとネックだと感じて応募しませんでした。
 今回参加しようと思ったきっかけは、Q by Livesenseの記事「利き手というダイバーシティ」ですね。ライターの金土さんが総務に、利き手を考慮した備品の対応についてヒアリングされていることを知り、部内の人たちと「言われてみると、確かに左利き用の備品って用意してないね」という話をしました。そのときに「そういえば、マイノリティとかこういうこと考えたことなかったな」と気付いて。それで研修にも興味を持ち、参加してみようと思いました。  
 テーマだった「ジェンダーバイアス」については、正直そんなに考えたことが無かったから「どんなことするんだろう?」という感覚でした。関係ないってわけじゃないけれど、自分ごととして捉えていなかったから、参加することで視野が広がればいいな~という気持ちでしたね。(三〇代・女性)

 「常識を考え直すワークショップ」に対しては、時代を先駆けてる感があるなという印象でした。バイアスとかジェンダーの話がSNSで盛り上がっているので、こういうテーマを学んでいくのが、世の中的に今後のスタンダードになるんじゃないかなって。  
 とは言え、自分は「ジェンダーバイアス」にいままで興味がありませんでした。小中高大とずっとスポーツをやってきて、仲間は同性の男性ばかり。監督の言うことは絶対で、個人ではなく組織の意向に全員が従う、いわゆる軍隊みたいな世界でした。なので自分はジェンダーを気にすることとは対極の人生を歩んできているのかな~と思っていて。
 なので、これまで生きてきた環境とは最も遠いだろうこの研修にあえて参加してみて、自分がどう感じるのかに興味があったという感じですね。(二〇代・男性)

 もともとジェンダーの問題に関心があった人、自分には関係ないと思っていたのに偶然興味を持つきっかけがあった人、自分には居心地の悪い場所だろうと感じつつもあえて飛び込んでみた人。直接話を聞いてみると、想像していたよりも、参加したきっかけや動機はそれぞれ異なり、興味深いものだった。

バイアスを自覚したら見える世界が複雑になった

 続いて、実際に研修に参加してみて何を感じたのか、また、どんなことを考えるようになったのか、話を聞いてみた。

 参加して良かったと思います。やっぱり自分と違う考えを持ってる人はいるけれど、それはなんで違うんだろう? って考えるきっかけになるので。
 それから、リブセンスは比較的フラットな環境だと思っていましたけど、グループワークの中で「リーダーなどの役職者に女性が少ない」という話が出て、そう言われると確かに、なんでだろうって考えましたね。
 あと、参加していて気がついたのは、自分が、男性と話すときと女性と話すときとで、気の遣い方が全然違うということです。男性と話すときは、砕けた言葉やちょっと汚い言葉で話しがちなのに、女性と話すときは、丁寧な言葉で話している。「セクハラに受け取られたら嫌だな」って気持ちがあるので意識もしていますが、無意識にやっている部分もあると感じました。でもそれがジェンダーバイアスによるものなのかと言われると、そうなのかな? って判断がつかないんですよね。
 ただ自分は、絶対にバイアスがある人間だと改めて思ったので、相手に不快感を与えないような行動がとれたらいいなと思っています。(三〇代・男性)

 これだけのバイアスが、無意識のうちに自分の中にあったということ、そういうバイアスを通してものごとを見ているということに気がついて、衝撃でした。「当たり前が当たり前じゃないんだ」って思いました。「そもそも当たり前ってなんだ?」って。自分のバイアスで誰かを傷つけてるかもしれないと思ったら、色んなことを軽々しく言えないな、でもそうなると話せなくなっちゃうなって感じましたね。
 一番衝撃だったのは、甥っ子を「○○くん」、姪っ子を「○○ちゃん」と呼んでいたんですけど、これが相手のジェンダーの決めつけになると知ったこと。性別に関係なく使える「さん付け」に切り替えるのは可能だろうけど、それを本人や周囲にどう説明しようって悩ましい気持ちもあるし、小さい子たちにジェンダーのことをいきなり説明するのも難しいなとも思う。
 今はまだ、研修で学んだことを周りの人に話したり、具体的な行動に移せてはいないけれど、自分の中にあった「男だから女が好き」という思い込みに気付いたり、「男性の恰好をしてるけど心は男性じゃないかもしれない」と想像できるようになったりしていると感じます。またこういう研修があったら参加したいと思いますね。(三〇代・女性)

 ジェンダーバイアスを気にせず生きてきた人間なんで、グループワークの時間も居心地が悪いというか、「おぉ……」と心にずっしりくるものがありました。「あぁ、こういうのもだめなんだ」と、対話の中で予期せぬ方向からパンチが飛んでくる感じ。でも反対に、僕が誰かに思わぬ方向からパンチしていることもあるんだろうな~とも思いました。
 ジェンダー論では「男らしい」「女らしい」というバイアスが好ましくないと学びつつも、普段の生活ではその表現に「かっこいい」とか「魅力的」って意味が含まれていたりする。そう考えると、どうすればいいんだろうとすごくもやもやして。グループの人たちとも話したけれど、結論は出ずでした。
 なので、今はコミュニティによって言動を使い分けていくことになるのかな~って気がしてます。それこそ、学生時代に所属していたコミュニティの人たちに今回学んだことを話せば、僕がすごくめんどくさい人になるんですよね。
 それが象徴的だなって感じたことがあって。いま僕は、Twitterは主にビジネス系のアカウントをフォローするために、Instagramはリアルの友人たちとクローズドなやり取りするためにつかってるんですけど、話題になったナイキのCMがシェアされだした時、Twitterのタイムラインが賛否のコメントですごく炎上している裏で、Instagramのタイムラインは「ナイキのCM超かっこいい」と盛り上がっていたんです。そもそも問題視をしていないというか、炎上する雰囲気はまったくなかった。コミュニティによって、偏見・バイアスに対する注意度は違うので、それによって自分も濃淡をつけるのがいいのかな~と、いまはそう思ってます。(二〇代・男性)

 みなさんが率直に話してくれた感想、いま感じていることに、いち参加者として私は心底共感する。そうなのだ。学べば学ぶほどもやもやするのだ。自分にしみついたバイアスの多さに、社会に根ざす差別構造の複雑さと根深さに、そして何より「そんな状況で一体自分に何ができるのだろうか」というある種の無力さに。

 でも、そうやってもやもやを感じることが、差別やハラスメントをなくしていくためのスタート地点なのだと思う。

研修はきっかけ。考え、行動しつづけることが必要

 「常識を考え直すワークショップ」に初めて参加した社員に話を聞いてみて、関係ないと思っていた偏見が自分のなかにもあると気付いたり、課題を認識したうえで実際どのように向き合うべきか、迷いや悩みが生じている様子も伺えた。

 差別や偏見のように、ずっとそこにあったのに自分には見えていなかったもの、それが見えるようになることは、たとえると、これまで気にしたこともなかった自分のまつ毛にピントが合い、常に視界に入るようになった、そんなイメージかもしれない。

 今回の研修は、「はじめてのジェンダー論」を参加にあたっての課題図書として読み、他に「82年生まれ、キム・ジヨン」などの推薦図書が3冊あった。これら書籍を一人で読むことも大事な学びの機会だ。しかし、一人で本を読んだだけでは「なるほど。面白かった」で終わる可能性も高いのではないかと思う。

 その点ワークショップ形式の研修は、共に学ぶ仲間がいる。同じテーマについて考え、対話することで、一人では到達できなかった深度まで理解を深め、他者の視点を知ることで新たなものの捉えかたを得られる。また、学びのアウトプット、つまり具体的なアクションに繋げることまで設計されている。実際、先日の研修の最終回では、差別やハラスメントをなくしていくために、まずは家族や友人、職場や地域という身近な社会に対して、自分ができるマイクロアプローチは何か考えた。しかし、これが思いのほか難しかった。参加者の声にもあったように、アプローチする相手によっては、結局行動できない自分がいることに気付く。行動に移すことが、言うほど簡単なことではないと実感した。

 「常識を考え直すワークショップ」の場合、誰しも偏見を持っているというスタンスで参加できることも気持ちが楽で良かった。偏見を持っていたら非難されるかもしれない、という余計な心配をしなくて済むので、腹を割った建設的な議論が可能になり、問題解決に取り組みやすくなると感じる。

 とは言え、研修に参加すれば必ず「差別、ハラスメントの根絶と平等の実現」ができるわけではない。偏見は私たち一人ひとりの常識でもあり、そんな私たちが集まっているのがこの社会。道のりは長く、険しくもあるだろう。研修での学びは、その道のりを歩むための地図であり、足元を照らす灯りであり、立ち止まりそうになったときに背中を押してくれる追い風のようなものだと感じる。

 バイアスありきの私たちに、差別やハラスメントのない世界をつくることはとても難しいことなのかもしれない。でもこうやって一人でも多くの人が自分のバイアスに気がつくこと、それが大きな前進だ。先人たちもそうやって地道に前進をし続けてきたはずだ。差別をなくすって難しいな、なかなか良い方向に進まなくて大変だなと思いながらも、諦めず、みんなで対話を重ねて考え続け、些細なことでもいいから社会に対して行動を起こす。その小さな積み重ねが、いつか差別の根を絶やし、よりよい未来につながると信じたい。

執筆 小山舞子

「もしも私がその人だったら」と、相手のこころに寄り添う気持ちを大事にしたいと願いながら記事執筆に向き合う。プライベートでは障がい者福祉支援団体でのボランティア活動、動物保護団体の活動支援を行う。二〇一九年よりリブセンスの広報を担当。