2021.06.24

すっぴんは失礼?どうして化粧は女性のマナーなのか

 「すっぴんは相手に対して失礼だ」

 社会人女性の大半の方は、きっとこの共通意識を持っているだろう。

 何が悲しくて自分のすっぴんを失礼なものだと認識しなければならないのか、と静かに憤りを感じる。一方で、そうは言ってもこれが社会の当たり前、化粧をすることがビジネスマナーだから、と自分を納得させてきた。他人の容姿に意見することこそマナー違反だと思うのだが、「女性としてのマナー」という話になると正論としてまかり通ってしまう。

 先日、「顔に泥を塗る」という漫画の1話目と作者のインタビュー記事が社内チャットで共有され、様々な意見が出て盛り上がった。

 漫画の主人公はデパートの案内係として働く二十五歳の女性。控えめで自己主張は強くないタイプ。ある日、同性の先輩から「もう二十五歳なんだから、もうすこしきちんとメイクできない?」と叱られる。きちんとした印象を意識して買った赤い口紅を試しに自宅でつけてみたら、同棲中の彼氏に「中学生ががんばって厚化粧したみたい」「俺がお客さんだったら、変にケバい人よりナチュラルで可愛い子に接客された方が嬉しい」と否定的な反応をされてしまう。「どの色が正解?」「どうしたら正しい顔になれるんだろう」と悩む主人公の心の声が印象に残った。

 彼氏の辛辣な物言いには言葉を失うが、先輩の発言は「あるあるだな」と感じた。実際私も似たようなことを言われた経験がある。

 しかし、改めて考えると謎だ。どうして女性は仕事のために化粧をする必要があるのだろうか。他者に顔を見せて仕事をすることは男性も同様なのに。

 昨今、男性の美容への関心も高くなっており、メイクをする人も増えていると聞く。しかし、大半の男性にとって化粧はまだ当たり前のことではない。それ以前にスキンケアをする人も少ない。そのため、朝の身支度を顔面に限ると、①顔を洗う、②髭禁止の職場であれば髭を剃る、以上の2ステップで完成だ。これで十分清潔感があるし、人前に出ても失礼にあたらない。男性であれば……。

 女性に化粧が必要な理由はなんなのか。女性が男性と同じ朝の身支度をしてもマナー違反とされるのはどういう理屈なのか。それはいつから言われているのか。化粧をする・しないは「個人の自由」ではだめなのだろうか。  

 今回は、分かるようで分からない「女性の化粧はなぜマナーなのか」について考えてみたい。

仕事と化粧。実体験よもやま話

 冒頭で紹介した漫画「顔に泥を塗る」を読んだ新卒入社3年目の女性社員から、社内チャットでこんな問いかけがあった。「読みながらこんなことある?という気持ちになりました。漫画だから多少誇張されているとはいえ『上司に年相応に化粧しろって言われた』って、結構ある話なんですかね?」

 案の定、他の社員からすぐに返答があった。

女性の上司に化粧しろと言われることは、余裕でありましたね。自分でしてきたメイクをディスられて直されたり。今だと半分パワハラだと思いますが『営業だししょうがないのかな~』と思ってた節があります(社会人18年目・女性)

わたしも前職のときすっぴんで会社に行くと、女性の上司に怒られて、就業時間なのに『トイレで化粧してきなさい!広報は会社の顔なんだから!』って言われてました苦笑(社会人10年目・女性)

 その回答に対して、質問した社員からはこんなコメントが返ってきた。「仕事上の身だしなみとしてやっておいた方が人間関係や営業成績にプラスの効果があるとか、すっぴんより仕事に身が入るから、と自発的にやるなら分かるんですけど、人に言われる筋合いはないですよね。会社としてそれを求めるなら、就業時間中にメイク研修実施して化粧品手当出さなきゃダメだよなあ」

 チャットを見ながら考えた。いくら仕事に関連するとはいえ、他人の容姿を評価することは適切なのだろうか。女性が仕事をするのに化粧は必須で、コストは自腹。しかしよくよく考えてみると、どうしてこれらが当たり前とされているのだろうか。

 その後も社員同士で次のようなやり取りが続いていた。

肌への負担を考えたらできればノーメイクでいたい派です。仕事上の身だしなみとして世間が必要としている、と感じるからメイクしている節はあります。

わかります。リモートワークでラクになったことのひとつに、メイクで肌に負担をかける頻度が減った、はありますね。

これまでの仕事はゲームやITの開発現場という人に会うことが少ない環境が多かったので、あまり人にメイクを指摘された経験はなかったなと皆さんの投稿を見て思いました。
新卒のときに受けたビジネスマナー研修の「女性は身だしなみとして上品なメイクを」というカッチリさと、実際の開発現場のゆるさ、例えば金髪やピンク髪、大きなピアス、サンダル・短パンなんでもOK、のギャップに「あれは何のための研修だったんだろう?」って疑問を感じたことを思い出しました。

とはいえ、企業を訪問して、出てきた方の眉毛がなかったらびっくりするとは思います。マナーとしての最低限の化粧って、そういう必要なところに施すものだと思いますし、当人も必要だと自覚してるからメイクしてるんだと思ってます。考えるべきポイントは「化粧」の定義がどこからなのか、なのかなと思いますね。

眉は、剃り込んでいるとかでなく、単にとても薄いというケースも女性だと多い気はします。それにしても、眉だけは描かねばという感じありますよね。あれ何でしょうね。

男性の場合、もけっこう難しい問題ですよね。

男性の「髭剃らなきゃ」と女性の「眉毛描かなきゃ」は同じ次元なのかもしれないですね。

 研修で教わったメイクマナーと職場の実態とのギャップが大きくて「マナーとは?」と感じた人、マナーとしての化粧の定義について考える人、化粧を男性の身だしなみに置き換えて考えてみる人。色々なアプローチがありおもしろかった。しかし、なぜ「化粧は女性のマナー」なのか、その根拠までは見つけられなかった。

ルーツは江戸時代にあり?

 ちなみに、化粧が無意味なものだとは思っていない。仕事に役立つ部分があることも身をもって理解しているつもりだ。例えば、気持ちを仕事モードに切り替える作用があったり、相手に与える印象をコントロールするのに便利だったりする。

 しかし化粧は、大前提として自分の顔面に直接施すもの。他人に見られる場所でもあるが、自分の大切な身体の一部だ。納得したうえで施したいと考えるのはマナー違反だろうか。

 そのような思いもあり、「化粧は女性のマナー」という言葉を印籠に、他人の容姿を評価したり、本人の気持ちを無視して化粧を強制することが許される世の中に疑問を抱く。そして、そんな社会の当たり前を作っている考え方の根拠がどこにあるのかを知りたいのだ。 

 

 インターネット上にこれだと思える根拠が見つけられなかったので、本を数冊読んでみた。そのうちの一冊、『化粧の日本史 美意識の移りかわり』に気になる記述を見つけた。

 まず、化粧が庶民にまで広がった江戸時代は、上下の身分秩序を重んじる「儒教」の教えが国の基本思想とされ、政治だけでなく、父や夫が家長として権力を持つ家族制度の基本にもなっていたということだ。

 また、儒教をベースにさまざまな女性向け教養書が書かれ、広く読まれたことも注目すべきポイントだ。例えば、『女重宝記おんなちょうほうき』という本には、言葉遣いや衣服の選び方、化粧方法について細かく書かれていた。さらに『女大学宝箱おんなだいがくたからばこ』という本によると、儒教の思想を当時の封建社会に当てはめて「従順で貞節、家事を良くこなし、夫や嫁いだ家に尽くすのが女性のあるべき姿」と説き、寺子屋における女子の道徳教育に用いられたという。

 中でも「化粧は女性のマナー」の、直接的なヒントなのではないかと感じる記述があった。それは『女重宝記』の内容について紹介した次の文章だ。

この本では白粉おしろいを塗ることを「女のさだまれる法」といい、女に生まれたからには一日も素顔でいてはならないと説いた。ただし白粉は薄くつけ、頬や唇などの紅も薄く指すのが基本。濃いのは品がないとされた。

『化粧の日本史 美意識の移りかわり』

 読んだ瞬間、驚きの余り思わず本を伏せた。これは、今もビジネスマナー研修で教わる化粧の仕方そのものなのではないか。女性の化粧に対する私たちの考え方は、もしや封建時代からほぼ変化していないのではないだろうか。

その仕事に化粧は必要か。改めて考えてみる

 『女重宝記』に説かれている教えが、現代の「なぜ化粧は女性のマナーなのか」に対する根拠だ、とまでは言えない。しかし、少なくとも女性が化粧をするのは当然のことと認識されている理由の一つにはなりそうだ。

 男女が主従の関係ではなく対等・平等にこの社会で生きようと努力し、多様なジェンダーへの認知や理解も徐々に広まってきているいま、女性の化粧に対して未だに封建社会のべき論を引きずっているような部分があることに、私は矛盾を感じている。

 しかし、化粧に対する考え方も、少しずつ変化している。 

 2019年に、イギリスの航空会社ヴァージン・アトランティックが、客室乗務員のメイク義務を廃止したことを発表し、大きな話題となった。「従業員が前よりも快適に勤務できるようにするだけでなく、勤務中にどのように自分を表現するのか、その選択肢を増やした」のだそうだ。

 日本でも、客室乗務員といえばとりわけ化粧をしっかりしているイメージがあるが、それは業界独自の保守性だけでなく、周囲もそうあることを求めてしまっている結果なのかもしれない。

 また、個人差は勿論あるものの、全体的な傾向としてドイツやオランダ、スウェーデンなどでは、化粧は気持ちと時間に余裕がある時のオプションと捉えられている。その背景には、女性はいつでもどこでもきれいでいなくてはいけないという社会の認識が日本よりも薄く、女性と美をそれほど関連付けて考えていないという違いがあるようだ。

 思えば一昔前は、真夏の炎天下でもスーツジャケット着用は当たり前、ノーネクタイなんて非常識だと考える人が大半であった。でも今やクールビズは聞きなれた単語になり、私服勤務OKの会社も増えた。それは、従来の当たり前や常識に対して、「何でこれが当たり前なんだっけ」「もっとこうしたほうが合理的じゃない?」と立ち止まって考えたから変われたことだ。「女性が化粧をすることはマナー」という今の当たり前も同じことだと思う。

 実際、新型コロナの影響でマスクを着ける生活になってから、多くの女性の化粧事情に変化が起きた。「化粧がマスクにつくし、崩れるからしなくなった」「口元は見えないからメイクは目元のみ」状況は人それぞれだが、どの理由も合理的だ。

 また、最近SNSを見ていると、意思をもって化粧をせずに就活に臨む学生も少なからずいて、そのような学生も無事に内定を獲得しているようだ。世間の常識を鵜呑みにせず一度疑ってみる。考えた結果納得できなければ自分の信じた通りにやってみる。その気持ちの強さと行動力は純粋に凄いことだと感じる。

 もしかしたら、これからは企業側も「#KuToo」のときのように、就業時の化粧に対するスタンスを社内外に表明しても良いのかもしれない。化粧は性別を問わず個人の自由である、など。空気を読むのは難しい。でも、明文化してあれば無駄に悩む人が減り、働きやすくなる人が増えるはずだ。

 「化粧は女性のマナー」だと当たり前のように言われるが、なぜ女性だけに適用されるのか。化粧していないと遂行できない仕事は実際どれほどあるのか。過去のしがらみや慣習を一旦脇において、その意義を改めて考えたい。

執筆 小山舞子

「もしも私がその人だったら」と、相手のこころに寄り添う気持ちを大事にしたいと願いながら記事執筆に向き合う。プライベートでは障がい者福祉支援団体でのボランティア活動、動物保護団体の活動支援を行う。二〇一九年よりリブセンスの広報を担当。

編集後記