2021.05.26

企業人事のいう「家族」は誰を含め、誰を含めないのか

 「家族」という言葉の扱いが難しくなってきた。家族とは誰を指すだろうか。企業は家族という言葉をこのまま使っていいものか。替わる言葉はあるのか。

 先日リブセンスは新型コロナワクチンのサポートを発表した。詳細は割愛するが、ワクチン接種や副反応のお休みも勤務扱いにしますよ、というものだ。観測する限りでは、ヤフー社とマネーフォワード社が業界の先陣を切った。リブセンスでも早急に対応しようという話になり、わたしのところにも原案がまわってきた。以下のような文言だった。

従業員の家族がワクチン接種する場合の付き添いや、家族に副反応が発生し看病を要する場合には、接種日当日および翌日に、有給休暇とは別に、それぞれ特別休暇(有給)の取得を認める

 一読して違和感を覚え、それを解消する言葉を探して、「家族」を「家族・同居人」に書き換えた。実際の制度およびリリース文にはそれが反映されている。

 なぜ「家族」だけではまずいと感じたのか。なぜこの表記に変更したのか。それを本記事で書いていきたい。ただ、「同居人」を加えたこの修正が正解だったのかは正直わからない。今もよりよい表記がなかったのか、悩み続けている。

変わりゆく婚姻と家族の形

 「家族」がなぜしっくりこなかったのか。端的にいえば、その対象範囲があまりに狭いからだ。

 何の気なしに使われるこの言葉は、誰を指しているのだろうか。手元の新潮の国語辞書で「家族」を引くと、「血縁・婚姻によって結ばれ、生活を共にする人々」と書いてある。たしかに昔は家族とはこういうものだった。しかし事実婚や同性パートナーシップという選択肢が広がり、籍を入れない関係が増えているなか、血縁と婚姻を根拠にした家族の定義は、もはやわたしたちの肌感覚にそぐわない。

 リブセンスが家族の定義について考えたことは以前にもあった。二年前にダイバーシティ推進のために結婚まわりの福利厚生を見直し、事実婚と同性パートナーシップと法律婚を同等の扱いに変えた。

 それに伴う書類の提出も求めず、つまり自治体に何かしらの申請をするとか、自治体が証明書を発行するか否かとは無関係に、ただ本人の申告だけをもって適用されるようにした。

 リブセンスは婚姻とは当人たちの合意のみに基いて成立するものだと考えた。それが今の時代に生きるわたしたちなりの婚姻の在り方だった。

 家族が婚姻によって定義される以上、こうした婚姻観は家族観にも直結している。だから今回のワクチンサポート制度だって、ただ「家族」という表記で済ませ、それで法律婚を選ばなかった人たちも自然と家族として制度を申請するという、そういう展開もありえたと思う。このまま家族観念が社会全体で変わっていくならば、いずれそういうふうになるのかもしれない。

 しかしまだそうした考えが十分に普及していない中で、一般に流布されている言葉の定義を一企業が独自に上書きするのは弊害が大きい。頻繁に新入社員が入ってくる以上、暗黙裡の上書きは勘違いも生みやすい。今回のケースも、籍を入れていない人たちが「家族」とだけ書かれたものを素朴に読んで、適用外と思われてしまっては本末転倒である。そこで今回は家族の定義を拡張するのではなく、「同居人」を付記することにした。

「同居人」は関係性に立ち入らない

 同居人という言葉の良いところは、フィジカルに定義され、関係性を問わない点にある。同じ家に住んでいるか、住んでいないか。ただそれだけだ。事実婚を誓い合っている必要もない。同棲カップルも、住を共にする友人も、特別養子縁組の監護期間だって含められる。

 家族やパートナーは関係性を問う言葉だから、こうした微妙な関係がどうしてもこぼれ落ちてしまう。懐の深い企業は問い合わせに応じて許容するかもしれないが、自分の身近な人が企業の考える「家族」に該当するか判断を仰ぐのは、それだけで大変な心的負担がかかる。こういう基準は誰にでもわかる形で提示した方がいい。

 とはいえ「同居人」が万能というわけでもない。適用範囲が広すぎるというケースは容易に想像できるし、同居人には含めることができない限界もある。今回も「家族・同居人」という併記を採用したのは、別居家族を含めるためである。もう一つ、同居人の限界を示す例を考えてみたい。

新しい家族の一員としてのペット

 メルカリ社が先日Sick Leave(傷病休暇)を改訂した。これまでは本人が病気のときのみ付与されていたが、適用範囲が拡大され、家族が病気のときも休めるようになった。そのリリース文には「家族(ペット、パートナー含む)」という表記がある。ペットも家族の範疇に含まれたのだ。

 ペットを人と同様に、もしくはそれ以上に大切にする人たちは数多くいる。彼ら彼女らにとって、ペットも家族の一員であることは間違いない。メルカリ社のリリースは、そうした思いを汲み取ったすばらしい改訂だと思う。この場合は「家族・同居人」と書いてもどうにも足りない。やはり「家族(ペット、パートナー含む)」という書き方しかないだろうと思う。

 一方でこのリリースが教えてくれるもう一つのことは、企業人事が「家族」という表記を使うときには、もはや注釈を免れないということだ。

 同居人を含むのか。未届のパートナーを含むのか。ペットを含むのか。家族を対象とするすべての福利厚生は、注釈を余儀なくされるだろう。手放しの「家族」に付随する辞書的なイメージは、わたしたちの想定よりも狭すぎる。

融解し消えてゆく家族の輪郭

 しかしこのまま家族に注釈が増えてゆけば、わたしたちは必然的に別の問いへと辿り着くだろう。それは「そもそも家族を他の人間関係よりも優遇すべきか」という問いだ。

 企業がどれだけ注釈をつけて定義を羅列しても、そこから零れ落ちる私的関係はかならず存在するのだから、「家族として表記された人たちの優遇」と「表記されなかった人(もしくは種)たちの薄遇」は表裏一体である。「家族」という公的な枠組みが力を失ったいま、企業は私的関係の選別に立ち入らざるを得ない。それがときに残酷な暴力をふるうことを知っていながら。

 本記事では、この問いの奥へは立ち入らない。しかし、事実婚や婚外子が増加し、ペットを家族の一員として扱うようになって、家族の定義が拡大すればするほど、こうした議論は巻き起こっていくはずだ。今「家族」に起こっているのは、核家族化が進んだときのような形態の変化ではなく、その輪郭を失わせるような概念の融解なのだから。

 企業人事は今一度、家族について考えるべき時がきている。あなたにとって、あなたの会社にとって、家族って誰だろう。

執筆 桂大介

会社を経営したことで社会の定型に違和感を覚え、教育や経済のオルタナティブに関心を持つ。リブセンスでは企業の在り方を再考する経営デザインプロジェクトを担当。人事制度の提言や研修「常識を考え直すワークショップ」の企画を行っている。趣味はアルコールとファッション。