2021.03.09

禁煙手当に考える健康経営のボーダーライン

 喫煙は、様々な疾病になる危険性を高め、あなたの健康寿命を短くするおそれがあります。ニコチンには依存性があります。

 たばこのパッケージに刷られた警告である。人によっては毎日目にし、人によっては初めて目にしたかもしれない。今や喫煙が有害であることはほとんどの人の知るところであろうし、副流煙さえ危険であることもまた十分に周知されたと思う。ときに法律で、ときに税金で、ときにポスターで。たばこは有害で止めるべきものであるとのメッセージが何度も力強く政府から発せられ、たばこを吸う人は日を追うごとに減り続けているが、ご承知のように喫煙者がゼロになったわけではない。

 喫煙は、今のところと言うべきなのだろうか、許可されている。多くの国において、そして本邦においても、たばこは販売され、喫煙所が設けられ、今日も紫煙がくゆっている。喫煙者は自らの身体に害が及ぶことを知った上で、今日もたばこに火をつける。それが本人の意思に反するニコチンへの依存なのか、不健康を味わう背徳の悦楽なのか、弾圧に泣く煙族の最期の連帯なのか、理由は人それぞれであろうし、そこに立ち入ることはしない。理由がなんであれ、喫煙は厳しい制限を課されながらも、今日まで生き延びてきた。

健康経営の狼煙

 最近は健康経営というスローガンをよく耳にする。従業員の健康管理を経営課題として捉えることを指す。社員のウェルビーイングに寄与し、企業の生産性も向上する。少子高齢化を迎える日本にとっては必要不可欠の指針なのだろう。経産省も推進し、「健康経営銘柄」や「健康経営優良法人」をつぎつぎと認定している。こうした呼び声のもとに、企業による健康増進のための施策はますます加速するだろう。

 そうした施策の一つに「禁煙手当」がある。禁煙手当とは、職場ではもちろんのこと、私生活においても一切の喫煙をしない者に対して会社が支給する手当のことである。少なくとも十年以上前からこうした手当は存在し、月二千円から一万円の支給が相場のようである。禁煙手当は社員の禁煙を促し、継続的な禁煙を支援するインセンティブとして働く。企業が従業員の健康を願っているという意思表明にもなっている。

 今日において健康は誰も異を唱えることのない数少ない絶対価値である。しかし、企業は一個人の嗜好性にどこまで干渉すべきなのか。本稿では「禁煙手当」を事例にそのボーダーラインを考えたい。

禁煙手当の是非を問う

 リブセンスにはまだ禁煙手当が設置されていない。導入の是非について執行役員と人事部から複数名にヒアリングを行った。結論からいえばほとんどの人が設置に反対であったが、まずは賛成の意見から紹介したい。

  • 健康増進として、喫煙をする従業員にとって、禁煙に踏み切るためのインセンティブとなる
  • 受動喫煙や匂いを嫌う従業員も存在するので、禁煙手当で禁煙が促進されることで職場環境を向上させることができる
  • 業務時間内に喫煙のために職場を離れる従業員に対しての不公平感も存在するので、禁煙手当で禁煙が促進されることで不公平感を解消することができる

 健康増進の他に喫煙特有の匂いに関するものや、休憩時間にも言及されている。
 次に反対意見も紹介したい。反対は八割以上にのぼり、そのうちほとんどが非喫煙者であった。

  • 嗜好品については個人で判断するものであり、会社がたばこを吸うか吸わないかを問うべきではない
  • 多様性を認める職場において、同制度の導入が喫煙者を煙たがることを示唆しているように思える
  • 喫煙はあくまでも個人の自由であり、会社が踏み込むべきではない
  • 健康は金銭報酬の類の対価として得るものではない
  • パフォーマンスを出すことが重要であり、禁煙か喫煙かは問われるべきではない
  • 健康管理には多くのファクターがあり禁煙だけを取り上げるのは不自然である

 言い回しは少しずつ異なるものの、会社が個人の嗜好的習慣に踏み込むことの是非を問うているものが多い。また反対した人の中にも条件があえば賛成という声もあったので、これも記しておきたい。

  • 明らかに喫煙者の方が休憩時間が長い傾向にあり、非喫煙者との不平等を無くすためという趣旨での提案なら支持する
  • 電子タバコの比率も高まってきていることもあり、以前より非喫煙者の受ける害も減ってきており、電子タバコを含めた分煙ルールを徹底するにとどめるのが良いのではないか

 こうした条件付き賛成もあるものの、総じて反対が圧倒的に多数であった。

 とはいえ会社は個人の健康について無関心ではいられない。各種法律によって労働時間の管理、定期健康診断の実施、産業医の設置、ストレスチェックなどが義務づけられており、リブセンスも御多分に漏れずこれらにマジメに取り組んでいる。そこから先、企業は健康管理の手をどこまで広げるべきだろうか。どのような健康管理ならば許容されるのだろうか。

専門家の健康とわたしの健康

 健康管理という概念は一七から一八世紀に始まったと考えられている。それ以前にはなかった。生理学と統計学の発達によって、ようやく健康リスクという考え方が可能になったからだ。大人の健康診断が定着したのは二〇世紀に入ってから。つい最近の話だ。

 いま手元にはわたしの健康診断の結果があり、項目ごとに自分の身体がA、B、Cとランク付けされている。身体計測はA、血液一般はB、糖代謝はA、脂質はB、胸部はA、血圧はA……。その隣には5.0〜8.0とか、70〜109とか正常な範囲が規定され、それと比較して正常か異常かが判定されている。ここでは健康とは、異常値がないことを指している。

 オールAをとれば健康に間違いない。しかし一箇所Bがあったとして、不健康だと断定できるわけでもない。人間歳を取れば多かれ少なかれガタがくるものだが、すぐに生活に支障をきたすことはないし、不健康だという認識を持つこともない。持病を抱えた人はつねに不健康なのだろうか。血圧がBの人は、聴覚がCの人はつねに不健康なのだろうか。そんなことはないはずだ。仮に身体的な事情から多少の制限があったとしても、わたしたちは毎日を健やかに過ごすことができる。そもそも健康とは客観的に検証され、誰かによって決定されるようなものだったろうか。

 専門家の手によって検証される健康と、わたしたちが生活において自認する健康にはズレがある。オーストリアの哲学者イヴァン・イリイチはこうした二つの健康観念を捉え、一つを「操作的に検証される体調のよさであり、それは、もっぱら専門家の手で推進され、擁護され、管理されるもの」とし、もう一つを「一人ひとりのパーソナリティに応じて定義され、一人ひとり違ったしかたで求められるもの」だと書いた。ここでは前者を「専門家の健康」、後者を「わたしの健康」と名づけたい。

 「専門家の健康」は統計によって標準化され、管理される健康である。健康という絶対的な旗印のもとに学校や行政や企業によって推進され、生活習慣や運動習慣が指導される。その重要性を否定するつもりはない。定期健康診断は病気を未然に察知し、インフルエンザワクチンへの補助金は多くの命を救ってきた。しかし「専門家の健康」はどこまでいっても統計的なものであり、個々人の身体を一律にしか扱えない。「専門家の健康」が専制的になり「わたしの健康」を蔑ろにするとき、わたしたちは身体の自己決定権を見失う。

 わたしたちは生まれついての身体が異なり、育ってきた地域が異なり、食や嗜好品の文化が異なり、病歴もそれぞれにあり、勤しむ仕事も共にする家族もさまざまな形があるのだから、どのような状態を健康とするか一人ひとり違っていいはずだ。誰しもが目指す絶対的な健康の極点なんて、ほんとうは存在しない。健康診断でオールAが目指せなくなったって胸を張って「わたしの健康」を唱えることができるし、目指すべき健康は人それぞれに違っていい。

 健康はなんのために求められるのか。WHO(世界保健機関)は一九八六年のオタワ憲章にこう書いた。健康は日々の暮らしのための資源であり、生きる目的そのものではない。

危うい一線を前にして

 誤解のないよう繰り返しておけば、「専門家の健康」の推進を問題視したいわけではない。各国が主導するたばこの規制は世界中で毎年何百万人もの命を救ってきたし、その中には数十万人の非喫煙者が含まれる。

 企業による健康管理も法律で定められているように、当然行われるべきものである。ただし健康の推進が力を伴って社員一人ひとりの行動を左右しようとするならば、「わたしの健康」を蔑ろにしようとするならば、危うい領域に足を踏み入れていると見た方がいい。

 こういったことは考え過ぎであり、まったく杞憂に終わるのだろうか。某社では社員食堂において、揚げ物メニューを百円値上げし、魚メニューを百五十円値下げするという価格調整を行なった。理由について「会社は従業員の健康管理につとめる義務がある」と述べている。経済によって従業員の健康を誘導しようという思想は、今やそこかしこに賞賛される形で現れている。何もたばこや揚げ物だけが標的ではない。生理学の未曾有の発達によって、健康のリスクファクターは増加の一途を辿っている。絶対的な健康を目指せば、その打ち手には際限がない。

 会社はどこまで「わたしの健康」に立ち入るべきなのか。一度立ち止まって考えたい。

執筆 桂大介

会社を経営したことで社会の定型に違和感を覚え、教育や経済のオルタナティブに関心を持つ。リブセンスでは企業の在り方を再考する経営デザインプロジェクトを担当。人事制度の提言や研修「常識を考え直すワークショップ」の企画を行っている。趣味はアルコールとファッション。