「わたし、これまで何回か転職したんだけど、正社員であることにはこだわってきたのよね」
前職にいた頃、当時の上司(50代・女性)に言われたことだ。どういう話の流れだったかはもう忘れてしまったが、その言葉だけはなぜか鮮明に覚えている。
みなさんは、これまでどんな雇用形態で働いてきただろうか。わたしは社会人になって現在9年目だが、ずっと正社員として働いてきた。じゃあ正社員ではない働き方ができるか、と問われると、ちょっと躊躇してしまう、というのが率直な答えだ。
なぜか。それは養う子どもがいて今の立場を変えたくないから、ではない。それもひとつの要素では間違いなくあるけれど、突き詰めて考えれば、正社員でなくなることに対して漠然とした不安があるからだ。非正規雇用に関するネガティブなニュースは、コロナ禍ということもあり目にする機会が増えた。正社員でなくなることは、自ら不安定な環境に身を置くことになると感じる。
ただ、果たしてそうだろうか。この漠然とした不安はどこからくるのか。この問いについて、今回は考えてみたい。
「正社員」が生まれた歴史的経緯
そもそも正社員とはなんなのか。「正しい社員」というものが果たして存在するのか甚だ疑問だが、「正規の社員」というのがより本来的なニュアンスであろう。
まずは、この言葉が生まれた経緯を概観したい。高度経済成長期以降、特に大企業においては異動や転勤を含めたキャリア形成を企業が主導して行い、従業員は企業の裁量に従って働いていれば、おおむね時と共に報酬や役職が上がっていき、同じ会社で定年退職するまで勤め上げる、という働き方が一般的だった。いわゆる、年功序列や終身雇用と呼ばれるものだ。この働き方が適用されたのが、今でいう正社員に該当する人たちである。
その後、正社員という言葉が一般的に使われるようになったのは一九八〇年前後であると言われている。背景には、「正規の社員」の対となる「非正規の社員」であるパートタイマーの増加があると考えられる。それまでメインストリームだった働き方とは違う働き方をする人が増えてきたので、両者を区別する表現が生み出された形だ。
では、正社員や非正規雇用を取り巻く現状はどうなっているのか。
ご存じの通り、経済が低迷した状況が長らく続いている。日本を代表する大企業のトップが、終身雇用を維持することは困難であるという主旨の発言をして話題になるなど、昔ながらの正社員的な働き方は少しずつ減りつつあり、非正規雇用が労働人口に占める割合は増え続け、今や3割にものぼる。
一方で、非正規雇用と正社員との格差は社会的な課題となっている。例えば、雇用形態ごとの賃金カーブを見ても、一般的に、正社員は年齢とともに賃金が上がるのに対して、非正規雇用は賃金が横這いである現状が見て取れる。一昔前には、年越し派遣村がニュースで取り上げられるなど派遣切りが問題となった。コロナ禍によって解雇や雇止めが急増するなど、不況のしわ寄せを受けやすいのも実情だ。
巷には「正社員至上主義」なる言葉も存在する。正社員を最も良いものとする考え方を指した言葉だが、その背景には正社員と非正規雇用の格差があることは明白だろう。
ストーリーは一人ひとり異なる
リブセンスでは現在、アルバイトや契約社員などの有期雇用の社員が全体の3割程度を占めている。彼らはどういった経緯でいまの働き方をするに至ったのだろうか。
リブセンスで長年アルバイトとして働くAさんはこう話す。
正社員やそれを目指す人って、リブセンスに限らずその会社に貢献したいとか、今後のキャリアのためにステップアップしたい人だと思います。ただ、私はそういう欲が全くなく、仕事のことで自分の時間を削られるのが嫌です。今も組織変更がある際には「残業する部署は嫌です」とハッキリ伝えています。アルバイトでも残業代で稼ぎたい人はいるかもしれませんが、私は時間通りに帰れることを優先したいです。
とても率直な意見だ。清々しさすら感じる。一方で、将来に対する不安はないのだろうか。
そもそもお金を稼ぎたい気持ちがありません。自分の衣食住が最低限確保されていれば、あとは自分のやりたいことができていればそれで楽しいので、将来の備えとしてコツコツと投資をするなどはしていますが、そこまでお金を稼がなくて良いと考えています。たぶん私は少数派なんじゃないかと思いますが、そこに対して劣等感を感じることはありません。このままのんべんだらりと生きていけたら良いなと思っています。
業務委託として働くBさんは、雇用形態に対する考え方の変化を語ってくれた。
自分も、就職活動をしていたときは「絶対、正社員!」と思っていました。新卒で入社した会社を退職するときも、最初は正社員の職を探していました。実際に内定も複数もらいましたが、改めて考えた結果「ダメだったらまた正社員に戻ればいいや」とフリーランスになることを決めました。実際にフリーランスになってみると意外と自分の性に合っていて、居心地がよくてそのままフリーランスを続けています。
自分は単純にお金が好きです。フリーランスはやればやるほど稼げます。しかも最近は、フリーランスであってもメンバーとして扱ってくれる会社も増えてきています。「不安定」というネガティブな言い方をされることが多いですが、自分は「一定じゃない」という意味だと捉えています。なので、一定ではないことがストレスじゃない人にとってはそれほど苦ではないと思います。
話を聞き、あたりまえではあるが「人それぞれなんだな」と改めて感じた。不本意ながら現在の働き方をしている人もいれば、その反対の人もいる。普段こういった話をする機会はなかなかないが、一人ひとりの働き方の裏にはそれぞれのストーリーがあるのだ。
まずは自覚することから
「正社員ではない働き方ができるか」と改めて自問する。正直、結論は変わらない。ただ気づいたこともある。
そもそも私は知らないことが多い、ということだ。正社員についても、自分自身についてもだ。
さきほど見たように、当然のように使っている「正社員」という言葉が生まれたのはたかだか40年ほど前の話だ。この言葉自体が、企業で働く従業員を正規と非正規に分け、二項対立を生み、非正規雇用に対するネガティブなイメージの再生産に繋がっている。「正社員」という言葉自体が、先に挙げた「正社員至上主義」を生み出す温床になっていると言えそうだ。
そのような背景もあり、変化を起こす会社も出てきた。「100人100通りの働き方」を掲げるサイボウズ社は「正社員/非正規」という呼称を止め「無期雇用/有期雇用」とすると公表した。呼び方だけ変えることは現実に存在する格差を覆い隠し、本質的な問題を見えづらくするという指摘もあり留意が必要だが、非正規雇用に対してネガティブなイメージが根付いてしまった現代においては、大きな一歩であると言えるだろう。
自分自身で言えば、どんな働き方が理想的なのか曖昧なのかもしれない。どう生きたいか分からないからこそ、漠然とした不安を避ける保守的な姿勢になってしまうのだろう。
なにも、みんなで正社員を辞めよう、というつもりはない。ただ、雇用形態もひとつの属性に過ぎず、みんなが正社員を目指す社会ではなく、一人ひとりが自分らしい働き方ができる社会に近づいていければと思う。
問いかけるべきは「わたしにとって理想とする働き方、ひいては生き方はなにか?」ということだ。もちろん、社会のバイアスが大なり小なりかかるものだ。考えた結果、いまのままを選択する人だっているだろう。ただ、自分自身の立ち位置に自覚的になることが、われわれにできる最初の一歩ではないだろうか。